草間彌生氏「芸術は最高の医師、死ぬまで描く」(2)

草間彌生氏「芸術は最高の医師、死ぬまで描く」(2)

2013年05月14日16時06分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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草間氏の作業室の筆(上)と草間氏が使用している水玉模様の車椅子。
  草間氏は10歳のころ、赤い花模様のテーブルクロスの残像が家の中に見えるなど、幻覚に苦しんだ。京都市立美術工芸学校で日本画を勉強し、1957年に28歳の年齢で一人で米国行きの飛行機に乗った。ニューヨークでボディペインティング、反戦デモなどのパフォーマンスを行い、鏡やポルカドット(水玉)が無限反復する設置物などを制作した。66年にはベネチアビエンナーレのイタリア館の前を無断占拠し、100個の銀色球を1個当たり2ドルで売るパフォーマンスを行った。しかし作品を売って暮らす状況ではなく、肉体的・精神的に疲労して73年に日本に戻った。

  波瀾万丈な彼女の履歴を見ると「人生は60歳から」という気がする。ついに60歳(1989年)でニューヨーク現代美術館、英オックスフォードで個展を開き、第45回ベネチアビエンナーレの日本館の代表作家として参加したのが64歳の時だった。無断占拠パフォーマンスで主催側の制止を受けて以来27年ぶりのことだった。

  --最近、最も大変なことは。

  「恐慌性障害で30年以上も苦しんだ。困難に勝つために描き続けた。芸術は私にとって最高の医師。私は描くのが大好きで、寝る時も描き、死ぬまで描くつもりだ。皆さんが私の作品を鑑賞し、愛してくだされば有難い。私の美術は愛、無限の宇宙に対するメッセージのようなものだ」

  草間氏には養子にいる。スタジオディレクターとして25年間一緒に過ごしてきた高倉功氏(50)だ。高倉氏が話す草間氏の日課はこうだ。「午前9時に私が出勤し、病院に行けば、そこから始まる。昼食も20分以内に終えてスタジオの2階に座り、午後6時までずっと描く。週末はスタジオが休むので草間氏も休むしかない。しかし実際は病院の小さな部屋でずっと描いている」。友人といっても写真家の荒木経惟氏(73)ほどだ。

  --後代にどんな芸術家として残りたいのか。

  「芸術をしながら大きな宇宙を経験してみると、自分は何も知らない存在だと思う。死ぬまで芸術を続け、死後数百年が過ぎても有効なメッセージを残したい。そのために全力を尽くしたい。未来の多くの人々、世界の人々が戦争やテロの恐怖なく自分の愛、生きた人生を続けることを望む。私の芸術が皆さんに伝える答えはこれです」。

  ◆病院の隣の作業室…車椅子で行き来

  午後6時。画家は昼から取り組んだカンバスをほとんど満たし、車椅子に座って病院に戻る準備をした。少女のように「ほら、私がすべて描いた」と意気揚揚としていた。筆や絵の具の山をカメラに収めようとする記者に「私と作品だけを撮ってほしい」を注文した。その彼女は自分を中心に回る世界の中でまた一日を過ごした。デビューしたばかりの新人のように「全力を尽くす」という言葉を繰り返す老将の奮闘、それ自体が絵であり芸術だった。

草間彌生氏「芸術は最高の医師、死ぬまで描く」(1)
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