주요 기사 바로가기

涙で見送る市民…金寿煥枢機卿が永眠

2009.02.21 10:39
0



 20日正午12時5分、故・金寿煥(キム・スファン)枢機卿の 棺を乗せた霊柩車がソウル明洞(ミョンドン)大聖堂を出発した。みなが金枢機卿に哀悼を捧げていた。60代の紳士は帽子を取り、頭を下げた。50代のタクシー運転手は車から降りてあいさつし、陸橋の上を歩いていた市民は胸元で十字を切った。大勢の人波に揉まれていた30代の母親は赤ちゃんを頭上に持ち上げた。

 
棺が閉められ、葬儀が終了した。金枢機卿が亡くなった月曜日(16日)から葬儀が終了した金曜日(20日)まで、40万人が枢機卿の追悼に訪れた。追悼に訪れた人々の宗教・性別・年齢はさまざまだった。

ある人は「明洞の奇跡」と言い、またある人は「枢機卿症候群」だと言った。誰もが「予想外の追悼熱」と話し、‘枢機卿がこの世に残した意義’に気付けなかったようだ。

ダウン症の息子・ヨハネさん(25)と手をつなぎ、追悼行列に並んでいた母親のイ・ヨンシンさん(65)に18日に会った。母子から話を聞くために、コーヒー専門店でコーヒー1杯を御馳走した。母親はコーヒー代を出せないことが気掛かりだったようだ。

息子の手を握り、4号線の明洞駅に向かいながら、手提げ鞄の中から1万ウォン札を取り出した。財布はなく、しわだらけのお金だった。母親は1万ウォン札を記者のズボンの後ポケットに刺し込み、改札口の方に向かって行った。母親と息子はソウル大方洞(デバンドン)に部屋をひと間借りて住んでいる。

1枚のしわくちゃの1万ウォン札。これは「みなが失ってしまった」と諦めていた韓国社会の遠慮と思いやりだった。「“失われた”と思われていた価値は、私たちの心の中にある」ことを知ったことは、金枢機卿が与えてくれた貴重な贈り物だった。

明洞大聖堂から始まり、三一路(サムイルロ)・世宗(セジョン)ホテル・明洞駅まで続く3キロの追悼行列には、平凡な隣人たちがいた。「いくらでもトイレを使いなさい」という飲食店店主の女性、「宗教は違うが、愛と和解の心を求めてきた」という仏教信者、「自分は目が見えないが、金枢機卿の臓器提供の知らせに涙を流した」という視覚障害者のあんま師夫妻などが並んでいた。これはみなが求めていた‘生きている人々の姿’だった。

今まで明洞は葛藤の場で、理念が角を立ててぶつかる場所だった。しかし、いまや明洞は違う姿に変わりつつある。愛・容赦・和解・感謝について話すたびに、金枢機卿と明洞を思い出すことだろう。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    涙で見送る市民…金寿煥枢機卿が永眠

    2009.02.21 10:39
    뉴스 메뉴 보기
    TOP