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【コラム】日帝強占期にもこだわった潤松の文化保存精神、東大門に受け継がれる(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.24 15:48
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目標が明確なら危機は同時に機会を伴うということを、澗松は具体的に実証した。1936年に日本の軍国主義体制が極端へ向かう状況で、日本人の手に渡ったヘ園・申潤福(シン・ユンボク)の「ヘ園傳神帖」を、日本の中国侵略が本格化する1937年には日本を離れて帰国する英国人ギャズビーから世界最高の高麗青磁所蔵品を澗松は一括で買い取った。特に創氏改名と日本語常用令で民族文化抹殺政策がピークに達した1940年夏、澗松は「訓民正音」を購入するのにも成功した。

いくら状況が厳しくても、そうである時ほど文化保存とこれを通じた国民との疎通は持続しなければならないという澗松の哲学と模範は、子孫と後輩の学者に忠実に伝授されている。70年代初め「三選改憲」と「10月維新」で韓国政治が揺れ動いた時期にも、澗松美術館は71年に謙斎展、72年に秋史展、73年に檀園展を開いた。

 
どの文明であれ市場は人々が集まる社会・経済活動の中心だ。東大門市場も過去100年間、韓国の現代史の中心に立っていた。特に韓国戦争(朝鮮戦争)以降、故郷に帰れない人々の生活拠点だった清渓川貧困村が60年代に入り、縫製を基礎に平和市場につながり、80年代には全国最大の衣類卸売市場に成長した。90年以降は清渓川の復元と大型ショッピングモール時代が重なり、年間売上15兆ウォン台の大規模な国際的な市場の姿を誇り、一日100万人、特に年250万人以上の外国人観光客が訪れる、また、若者の創造企業が実験され、韓流公演が深夜まで続く観光特区に発展した。

城北洞の澗松美術館、東大門市場とDDPは、すでに復元されたソウル城郭でつながっている。我々が過去の歴史と所産、今日を一緒に生きている隣人と活力、そして統一された共同体を目指しながら創造力を整える中で、新春が訪れてきているようだ。

李洪九(イ・ホング)元首相・中央日報顧問


【コラム】日帝強占期にもこだわった潤松の文化保存精神、東大門に受け継がれる(1)

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