命令服従が根付いたフォルクスワーゲン 「危険な疾走」で事故(2)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2015.09.28 14:59
その後、ピエヒはダイムラー(ベンツ)を経て、72年にアウディの開発担当となった。アウディでピエヒはTDI(ターボディーゼル直噴)エンジンと四輪駆動(クワトロシステム)乗用車、アルミニウム車体など数多くの技術革新を導いた。92年末、収益性が悪化したフォルクスワーゲンはピエヒを新会長に任命した。ピエヒのフォルクスワーゲン時代が幕を開く瞬間だった。
彼は会社の体質改善に取り組んだ。生産コストを減らし、新車戦略を立て直した。賃金も16-20%削減した。その代わり週4日制を導入した。当時、彼は「ブルドーザー会長」と呼ばれた。98年にベントレーとランボルギーニ、ブガッティ、2000年にシュコダ、2008年にスカニア,2011年にマンとネオプラン、2012年にドゥカティを順に買収し、フォルクスワーゲングループの規模を拡大した。