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【漢字で見る世の中】尋常

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.01.25 13:37
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唐代の詩人、劉禹錫の詩「烏衣巷」に出る一節だ。

「むかし東晋の時代には、王家や謝家の屋敷の前に巣をかけていただろう燕も、いまは普通の庶民の家の軒に飛び込んでいる(旧時王謝堂前燕、飛入尋常百姓家)」--。

 
詩のタイトルの中の「烏衣」は「黒い色の服」という意味だ。三国時代に黒い色の服を着た呉国の軍隊が駐留していた所であることから、烏衣巷、つまり黒い服の通りと呼ばれた。その後は高官や尊爵らが住む高級住宅地だった。

詩人は、旧時、高官の家に巣をかけていた燕が、いまでは「尋常」な庶民の家の軒に生息しているという懐古の感慨を詩に込めた。尋常は、ここで「平凡さ」を示す。しかし、尋と常は本来長さを示す尺度の単位であった。小さな面積、短い距離を意味する言葉でもあった。

中国古代の長さの単位で、尋はおよそ1.2~1.6メートル、常は2.4~3.2メートル程度だ。面積で考える場合、尋常は約11~13平方メートルにあたる。この点から、尋常はそれほど長くない距離、またはそれほど大きくない面積の意味を得ることになる。続いて、平凡ながらも一般的だという意味を込める。

文・武の官職に就く人を両班(朝鮮時代の特権的な官僚階級)、そうでない平凡な人々を常民とし、班常の区別を厳しく施行した朝鮮(チョソン 1392~1910)時代の階級差別用語はこのために生じた。尋常の常という字は、それ以来、常時変わらないもの、物事の基盤になる中心の意味にも進化する。正常かつ変わらない基準という意味の「常道」、通常的法則を意味する常軌という言葉がここから出た。

尋常の反対語は「殊常」だ。正常なものとは異なるという意味である。人と事物、または現象が一般的な水準を離れた状態だ。故国の山河と別れる場面をうたった金尚憲(キム・サンホン 1570~1652)の詩のうち「時期が殊常すぎて行こうか行くまいかためらう」という一節が良い例と言える。「“殊常”な人はスパイ」とし、告発精神を強いた1960~70年代の反共ポスターにも頻繁に登場する。

「尋常でない」判決が、裁判所により相次いで下された。一般的かつ普遍的な考え方・情緒とはかけ離れているという見方が殺到する。ある判決文はロジックが奇異で変わっていると思われる場合すらある。普遍と妥当は裁判所の生命だ。それを逃し「裁判所が殊常だ」という声があがっては困る。

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