分断ドイツでは障壁が東・西ベルリンを分けた。 運河地帯には障壁がなかった。 数多くの東ドイツ脱出者が泳いで渡ろうとし、照準射撃で命を失った。 問題は西ベルリンの住民の犠牲だった。 運河の周囲の散歩客が過って落ちたり、知らずに泳いでいると、東ドイツの哨所からは必ず銃弾が飛んできた。運河の中間の境界線はあいまいだった。 東ドイツ側は「亡命者と誤認した」と主張しるのが常だった。
「運河で身元が確認されるまでは射撃してはならない」。 堪え難くなった西ドイツ政府が東ドイツに金品を与えて結んだ新しい協約だった。 それでも犠牲者は減らなかった。身元を知る手順が複雑だった。 川の中でもがいている人に「名前が何か」「どこに住んでいるのか」と一つひとつ尋ねなければならなかった。 東ドイツの哨所が上部に確認した後、「亡命者ではない。 射撃しない」というメッセージが届くだけでも30分以上かかった。 溺死するのに十分な時間だった。運河のそばに待機していた西ドイツの救急車は意味がなかった。