韓国戦争(1950-1953)が始まってからあっという間にソウルが北朝鮮軍に占領された直後の1950年7月、一群の科学技術者が平壌(ピョンヤン)行きの列車に乗って38度線を越えた。 その中には当時のソウル工大学長だった李升基(イ・スンギ)博士も含まれていた。 李博士は1939年、合成繊維「ビニロン」(北朝鮮式名称はビナロン)を発明し、日本の京都大で博士学位を受け、教授として在職していたが、解放と同時に帰国した化学者だった。
ビニロンの発明は「カロザースのナイロン発明に3年しか遅れをとらないわが民族科学者の快挙」と評価(陳政一・高麗大碩座教授、『科学、その偉大な好奇心』)されるほど学術的に優れた業績だったが、実用化の過程ではナイロンに押され、北朝鮮以外の地域では光を失った。