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<スージー・キム事件>15年ぶりに明らかになった国家の横暴

2001.12.19 22:18
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1987年香港で亡くなったス-ジ-・キム(実名・金玉分)のスパイ冤罪が15年ぶりに晴れた。

「女子スパイ、スージー・キムの夫、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への拉致未遂事件」という当時国家安全企画部(安企部、国家情報院の前身)の発表は、張世東(チャン・セドン)元安企部長の主導のもと操作されたという最終結論が、19日出された。

 
検察が再捜査を決めて以降20カ月ぶりに表れた実体だ。 

検察は昨年、警察が同事件への捜査を中断したのも、国情院側の隠ぺい要請を受けた李茂永(イ・ムヨン)前警察庁長の指示によるものだったと明らかにした。

◇張世東氏が操作を指示=1987年1月5日、キム氏の夫、尹泰植(ユン・テシック)容疑者がシンガポール駐在の韓国大使館を訪ねることから操作は始まった。大使館側は尹容疑者の身柄を現地にいた安企部の職員に引き渡し、この職員は「尹容疑者の『北朝鮮が拉致しようとした』という主張には信ぴょう性がなく、自ら進んで北朝鮮に行こうとしていた可能性がある」と、韓国内本部に報告した。

しかし、張氏は、同事件を北朝鮮に対する攻勢を強化できる好材料として判断、韓国内・海外の記者会見を積極的に進めるよう指示した。張氏はまた、尹容疑者の主張を信用できないとして、シンガポール大使館側が記者会見のあっ旋を拒否すると、安企部・海外担当副局長の張某氏を現地に派遣し、尹容疑者をタイ・バンコクに連れて行き、8日「スパイのスージー・キムによって、北朝鮮に拉致されるところだった」という記者会見を行うよう指示した。

尹容疑者は9日入国した後、安企部の調査で「家内を殺害した」という自白をした。しかし、張世東氏は対北朝鮮関係などを考慮し、事件を伏せた。尹容疑者を解放させたが、犯行を告白することを懸念し、動向を監視するように指示したというのが、検察が把握した操作の全貌だ。 

◇警察の捜査中断=国情院の元対共(対共産党)捜査局長の金承一(キム・スンイル)容疑者は去年2月15日、警察がスージー・キム事件を捜査するという諜報を入手、李茂永警察庁長のところを訪ねた。「その事件は尹容疑者が言い争いの末、夫人のを首をしめて殺害した殺人事件だ。マスコミに公開されれば、対北朝鮮関係に悪い影響を及ぼし得る」とし、捜査の中断を求めたというのが、今回の検察捜査の結果だ。

李前庁長は間もなく捜査中断を指示し、警察は16日、捜査中断の報告書を最後に事件捜査を手放した。   

検察は19日、李前庁長と金元局長に対し、犯人逃避・職務遺棄・職権乱用などの容疑で在宅起訴した。しかし、事件を操作した当事者である張元部長などに対しては犯人逃避罪などの控訴時効(3年)が終わっており、司法処理が不可能だと明らかにした。

尹容疑者は先月13日、殺人容疑で拘束・起訴され裁判を受けている。

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