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<金泳三元大統領死去>警護員・料理人・高3・大学生まで…市民が焼香所の主人だった(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.27 11:20
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46年前、金元大統領の直筆サインをもらった縁で焼香所を訪れた人もいた。24日に弔問を終えたソウル衿川区始興洞(クムチョング・シフンドン)に住むチョン・スソンさん(62)だった。

同日午前11時ごろ、金守漢氏が同じく元国会議長だった朴グァン用(パク・グァンヨン)氏らと焼香所で過去の話で夢中になっていた。

 
「87年、安国洞(アングクトン)新民党党舎にいた金元大統領を襲おうと素性の知れない青年たちがやってきたが、金元大統領は3階の窓をさっと開けるとそのまま飛び降りた。瓦屋根を伝って走って逃げたが、本当に足が早かった。ところが(屋根から)足を踏みはずしてクッパ屋の庭に落ちた。グラグラ煮立つスープ鍋の中に落ちるところだった」

このテロが失敗に終わると、「ヨンパリ事件」(金元大統領の統一民主党創党を妨害するために20余りの地区党に政治ヤクザが攻め込み暴力を振り回した事件)が起きる。金守漢氏は「金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相も(中央日報)回顧録を書いているが、金元大統領についてのエピソードはとても多い。ヨンパリ(事件)だけでも…」と言葉を濁した。

ところで、噂をすれば影がさすというように、同日午後5時ごろ、金泳三派の要人が訪ねてきて、「ヨンパリ事件の主導者だったキム・ヨンナムが1時間前に来ていた」と耳打ちした。この要人は「先輩記者に聞けばヨンパリが誰かすぐ分かる」とも話した。キム・ヨンナム氏(現在は牧師)の「奇襲弔問」は金元大統領の人間的な一面に改めて光を当てる契機になった。キム・ヨンナム氏が立ち寄った後、焼香所関係者は「金元大統領が『統合と和合』を言ったが、そのような側面で本当に興味深い場面」と笑い合った。金元大統領に36年間仕えていたキム・ギス秘書官(1級)は「閣下がヨンパリ全員を許した。閣下は後腐れがない」とし「生前もキム・ヨンナム氏が何度か行事場所を訪ねてきて金元大統領に『尊敬している』と言っていた」と伝えた。

金元大統領告別式の1日前に電撃的に焼香所を訪れた全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領はそこはかとない余韻を残した。全元大統領は「健康ですか」と尋ねるヒョンチョル氏に健康の話をあれこれした。

「年も年だから良くなったり悪くなったりだね。でも今はたばこも吸わないし酒もたしまなくなったから前よりは少し体調も良い。私はたばこは昔からあまりたくさんは吸わなかったし、酒は軍生活で飲む時は浴びるように飲んだが、酒も味のことはよく分からないんだ、私は。たばこは吸うと頭が痛い。頭がぐるぐる回る」

歩きにくそうな様子の全元大統領は「和解」を尋ねる記者の質問に「ご苦労さまです」とだけ答えて焼香所を後にした。だが、市民の弔問で焼香所は「統合と和合」の場になることができた。

23日午後4時40分、焼香所に訪れた中年女性は10分余りの間、芳名録にゴマ粒のような文字で手紙を書いた。最後の文章だった。「個人の安逸な人生よりも共同体を先に考えて下さった厚生に感謝申し上げます」。家族が一緒に訪れる場合も多かった。「先生(=金元大統領)、良い暮らしをします。よく教えて…まっすぐに生きようと思います」。

金元大統領の遺訓通り、「統合と和合」の精神は焼香所から始まっていた。そうした点で金元大統領は本当に幸せな大統領だ。


<金泳三元大統領死去>警護員・料理人・高3・大学生まで…市民が焼香所の主人だった(1)

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