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<金泳三元大統領死去>警護員・料理人・高3・大学生まで…市民が焼香所の主人だった(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.27 11:20
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今月23日午後2時に予定されていた朴槿恵(パク・クネ)大統領の弔問を控えた時だった。金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の焼香所が設えられたソウル大病院葬儀場では警護員が20分前から一般市民の弔問を統制していた。この様子を見ていたセヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表が一言発して警護員に信号を送った。弔問を遮るなという意味だった。それから金代表は自ら市民を中に案内した。この日、ソウル大のジャンパーを着た女子大生4人が弔問に訪れると、金代表は感心した様子で「普段から尊敬していたのか」と尋ねた。学生たちが「ソウル大医大1学年に在学中です。近くに焼香所があるということで来ました」と説明し、金代表はスリッパ姿のまま焼香所の外まで見送って「ありがとう」を繰り返した。取材陣を見て「このようなことが記事ではないか」と言って笑った。

金元大統領が逝去した22日から出棺日である26日までの5日間、「巨山」(金元大統領の号)の焼香所には元・現職大統領や政・官・財界の要人だけでなく、性別や世代を超えた一般弔問客の足が絶えなかった。巨山の5日葬を近くで取材していた80年代生まれの女性記者2人には金元大統領は馴染みのある大統領として記憶にあるようだ。

 
母親の手に引かれながら弔問にやってきて芳名録に名前を残した7歳のチェ・ミンジさんから体が不自由そうな80代の高齢者、大学修学能力試験を終えた高校生まで世代を超越した弔問客の行列が5日間続いた。

毎日のように焼香所に詰めてこの様子を見守っていた金守漢(キム・スハン)元国会議長は「弔問客が絶え間なく来るのに何か民心が…『津波』のような現象だ」と独りごちていた。

遺族側によると、最終日(午後0時基準)ソウル大病院の焼香所を弔問に訪れた人は1600人余り、5日葬を行う間3万7300人余りがここに立ち寄った。

弔問客の中には、金元大統領が満26歳の最年少議員として第3代国会に登院した時から1992年大統領当選直前まで運転手を務めていたキム・ヨンス氏、金元大統領を近くで警護していた当時青瓦台(チョンワデ、大統領府)警護室次長のヤン・ジェヨル氏、2003年から最近まで上道洞(サンドドン)の自宅で料理人として働いていたイ・ハンギュ氏、金元大統領の専用機だった空軍1号機乗務員だと明らかにしたチェ・ソンヒ氏のように、故人と深い縁のある人々もいた。

▲料理人のイ・ハンギュ氏=「慈しみ深い方で本当に気さくに良くしていただきました。澄んだ出し汁でつくったチリテグタン(唐辛子を入れないマダラのスープ)が特にお好きでした。巨済(コジェ、金元大統領の故郷)から持ってきたテグでつくったテグタンを…」

▲運転手のキム・ヨンス氏=「その方と長くご一緒していたことは世間の人々は皆知っていますが…硝酸テロ(1969年6月20日、男性3人が金元大統領に硝酸の入った瓶を投げた事件)も私と2人で体験しました。2人だけしか分からないことです」

▲警護員のヤン・ジェヨル氏=「父が亡くなったような気持ちです。ジョギングがトーレードマークだったことは世界的に知られていますが、ジョギングを通じて我々警護員らとも気さくに接し…」


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    <金泳三元大統領死去>警護員・料理人・高3・大学生まで…市民が焼香所の主人だった(1)

    2015.11.27 11:20
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    故金泳三元大統領の運柩行列が26日、光化門(クァンファムン)を通りすぎて国会議事堂告別式場へ向かっている。市民が金元大統領の最後の道を哀悼している。
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