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「情報が命」…東日本大震災当時、手書きで発行した日本の地域新聞(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.08 10:44
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「…道路には、水に流されて来た車が散乱している光景が…」。一緒に、市役所の集計時間帯別の被害状況と火災情報が入った。最後には赤い文字で「正確な情報で行動を!」というスローガンを入れた。地震の翌日で余震が続き、住民の恐怖は消え去らなかった。

新聞社は1枚の壁新聞をさらに5部作った。社員が近江社長の書いた原本を見ながら書き写した。それから住民たちが避難していた小中学校や公共施設など5カ所とコンビニエンスストア1カ所に張り出した。人々が集まった。電気・道路が途切れていた状況で、壁新聞は避難住民に大切な情報を提供した。テレビが地方までカバーできる状況ではなかった。当時、被災者たちは最も多くて5万人余りにも上った。

 
新聞社は17日まで6日間、壁新聞を作った。その日に電気が復活しながら壁新聞は避難所に張り出し、複合機プリンターで同じ内容をA4用紙に印刷して500枚を配布した。18日はA4用紙の新聞700枚を作った。19日からは輪転機が戻り当初6ページの新聞を1ページで刷って配布した。

「当時、地域紙の存在意義を考えていた。『伝える使命』を成しとげることが住民たちの声援を受ける地域紙の義務だと感じていた。そんな思いが壁新聞の制作につながった。何もしないのは私たちの存在を否定することだった」。4日に新聞社で会った近江社長は「日本の高度成長期に石巻沿岸部に定住した住民たちが再び立ち上がることが地域の復興であり、新聞社の復興」としながら「新聞を出し続けることが復興につながると信じて報道していた」と振り返った。

武内常務は「地域の再生が私たちの目指していたことだったので、給水・食糧配給など住民が望む情報を中心に紙面を作った」として「どんな状況でも情報を提供することが新聞社の使命だと考えた」と語った。それと共に「振り返れば壁新聞はジャーナリズムの原点、大震災の資料として価値がある」と話した。

石巻日日新聞の壁新聞6部は、現在は米国ワシントンのニュージアム(ニュース・ジャーナリズム博物館)、日本新聞博物館、石巻日日新聞社が2012年に開館した「石巻ニューゼ(NEWSee)」に実物展示されている。ニューゼは地震当時の教訓を記憶して後世に伝えるために建てられた。ニューゼには毎年、日本国内外から1万人近くが訪れている。昨年3月には英国のウィリアム王子が訪問した。

この日、東京から来ていた男子大学生は「観光で石巻市に来て立ち寄った」として「被災者に情報を伝えるために困難な状況で壁新聞を作ったことに感動した」と話していた。


「情報が命」…東日本大震災当時、手書きで発行した日本の地域新聞(1)

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