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北朝鮮に拉致の天才作曲家、命と引き替えた「統一交響曲」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.06.19 08:53
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ユン・ジョンホ氏の息子ユン・チョルス氏が脱北して持ってきた「統一交響曲」の楽譜の一部。2楽章の合唱の出だしの「ついに天が七千万の念願を聞き入れられた」という歌詞は作曲家ユン・ジョンホ氏が統一を希望して直接入れた。米国で出版された「The Liberation Symphony」の表紙と合成した。フィリップ・リュは著者ユン・ゴンホ氏の米国名だ。
韓国戦争の際に北へ拉致された天才作曲家夫婦が命と引き替えに残した「統一交響曲」が現在米国で遺族たちの手で復元されている。未公開のこの作品は4楽章で構成され、全体の半分の180枚、1~2楽章の楽譜がフィルムで残っている。3~4楽章は脱北した息子と娘が覚えて作成した。

1950年6月に北朝鮮に拉致された1932年生まれユン・ジョンホ氏とチェ・ヨンエ氏夫婦は「韓国近代史の遭難者」だ。ユン氏は学校の音楽教師の蓄電器を直した縁でピアノを習い始めて数カ月でショパンやモーツァルトを次々と覚え、即興曲を作るほどの才能を見せた。声楽家のチェ氏とは17歳だった1949年5月に大韓民国政府樹立慶祝全国音楽コンクールで初めて会った。当時2人はベッリーニのアリアを共演して愛に陥る。

 
しかし結婚を控えて勃発した韓国戦争で苦難の運命が始まる。夫婦は南部軍(パルチザン)に逮捕され北へ拉致される。以後金日成(キム・イルソン)偶像化を先導する芸術家で「人民作曲家」「人民歌手」と呼ばれて金日成の寵愛を受けた。後を継いだ金正日(キム・ジョンイル)は1995年、ユン氏に「解放交響曲」の献納を指示する。金日成主席の死後父子の偶像化のためだった。歌詞と12部で構成された4楽章の各部のテーマまでも緻密に構成された状態だった。

だが、ユン氏はこの機会を通じ、これまで命をつなぐためにやってきた「扇動芸術家」の人生を整理することを決心する。彼は北朝鮮当局(金正日直属216号秘書室)に公開した作品とは別に完全に違う交響曲を作曲して国外搬出を試みる。

45年間体験した北朝鮮の実状と独裁の惨状を知らせる作品だった。彼は「解放交響曲は私自身を解放させようという意味はもちろん、韓半島の悲劇の近代史を雄壮に代弁しわが民族の哀歓を表わさなければならない。韓国に送るのに成功すれば必ず『統一交響曲』に変えて歌ってほしい」と遺言したという。

この曲の存在は98年に脱北した息子のユン・チョルス氏の証言と、兄が北へ拉致されたという理由から連座制で苦労し米国に移民した実弟ユン・ゴンホ氏の記録で明らかになった。ゴンホ氏は先月こうした内容を盛り込んだ「The Liberation Symphony」を米国で出版した。韓国では比峰(ピボン)出版社が今月末に「統一交響曲」というタイトルで翻訳し出版する。

ゴンホ氏は中国で活動する宣教師を通じて甥らの脱北を企画し、パウエル元米国務長官、ブラウンベック上院議員、チョン・ギウォン牧師らがこれを助けたという。

この本によればチェ氏は夫の夢をかなえるために「喜び組」担当秘書を務め金日成の愛妾という汚名を着せられ毒殺された。毒殺前にチェ氏の遺言でユン氏は北朝鮮のバイオリニストのソン・スギと再婚し、娘のミファを産む。チョルス氏はバイオリニスト、ミファ氏はアコーディオン演奏者として成長した。

ユン氏は「苦難の行軍」時代に解放交響曲を作曲し、栄養失調にかかった状態でメチルアルコールを飲んで死亡した。その後チョルス氏と妻のジェヨン氏は燿徳(ヨドク)収容所に監禁されたが脱出に成功した。彼は現在事業家として成功したという。米国で「自由韓国」というメディアを運営してきたユン・ゴンホ氏は5月に比峰出版社のパク・キボン社長に「チョルスとミファの復旧作業が完成され次第、世宗(セジョン)文化会館で統一交響曲を演奏するのが兄の最後の夢をかなえる道だ」と伝えた。

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