【コラム】権力という名の戦車=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.23 14:32
9年前のコラムで筆者はこのように書いた。「その生命供養の対価として我々は韓国政治を製織する『運命の形式』に対して目を大きく開けた」と。「差別のない世界と道徳政治を夢見た統治者が追い出された最後の崖、その崖でぶつかった運命がまた繰り返されるのではないか、人々はそれを問い背を向けた後に考え始めた」と。(中央日報、2009年6月1日)。その運命の悪循環をとにかく終わらせなければならない。
復しゅうの化身ならば朝鮮時代の正祖(チョンジョ)について行く人がいるだろうか。正祖は即位式に両側に並んだ朝廷の大臣たちに告げた。「余は思悼世子の息子である」と。思悼世子を米びつの中に閉じ込めて殺した老論派は恐怖に震えた。ところが正祖は彼らを登用した。老論、少論、南人の間のあつれきを巧妙に活用した。正祖は「敵との同床」を拒まなかった。ひとえに協力政治のための自制だった。正祖のいわゆる手紙『御札牒』によると、老論派は「口やかましく無教養な者たち」だった。正祖は積弊清算を処罰ではなく制度改革で実行した。南人の蔡濟恭(チェ・ジェゴン)を起用して六矣廛(ユギジョン、当時幅を利かせていた6大御用商人のこと)の特権を撤廃して私商を育成した。水原(スウォン)に新興勢力を育てて経済体質を変えようとした。制度的な復しゅう戦だった。