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【コラム】小正月とバレンタインデー=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.14 16:43
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長く続いてきた月の文化も永遠ではなかった。資本主義の成長は歳時風俗の再編を予告した。産業社会へと急激に変貌する過程で、農耕に根付いた小正月の人気は下落した。消費社会が到来すると小正月はより一層後退した。個人の消費を促進させる社会において、共同体の生産と豊かさを祈る小正月の退歩は必然的だった。この時に登場した記念日がバレンタインデーであった。バレンタインデーは司祭バレンタインを追慕する記念日だった。彼はローマ皇帝の命令を拒否して、愛し合う恋人たちの結婚式の媒酌人に立って処刑されてしまった。恋人たちの結婚を死ぬことで成功させたバレンタインは若者の間で愛の守護者とあがめられた。

バレンタインデーは、韓国に入ってくるやいなや2月の歳時風俗の主演として登場した。現代のバレンタインデーは本来の記念日の意味とは全く違った。甘い味と感性的なストーリーテリングで武装されたのだ。チョコレートやアメなど甘いプレゼントに愛の告白を込めて男性にあげるというストーリー設定は、若い女性たちの心を奪った。愛と甘いものは「分かっていながらもだまされる」という点で同じようなものだろうか。感性的なストーリーの幕の後ろに製菓会社がいることを知らない人はいない。今は企業が作り出した慣習も、歳時風俗の1つとして認めようという雰囲気が歴然としている。企業が創り出した慣習と商業性が割り込んだ歳時風俗を否定すれば、現代の資本主義文化を理解できないという論理だ。

 
これを百回認めるとしても、心苦しい気持ちはぬぐい去れない。歳月が流れて文化が変わるのは真理だが、その文化を創り出す主体は人ではなかったか。それなら、いくらでも人が文化に介入して能動的な変化が可能だということだ。企業が現代の歳時風俗に割り込んだように。小正月の価値はむしろ現代社会で光を出すことができる。

小正月が象徴する女性の性と生産、共同体の豊かさと平安は、今日の社会が求める美徳だ。今、農村でも小正月を迎えて薪の山を燃やし共同体の行事を行うなどの復興を試みている。再び小正月とバレンタインデーが重なる年が来れば、人々はその日を何と記憶するだろうか。

ユ・スンフン釜山(プサン)博物館学芸研究家


【コ覃ム】小正月とバレンタインデー=韓国(1)

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