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<金泳三元大統領死去>沈黙する北朝鮮…金正恩、過去のように弔電送るか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.23 11:35
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北朝鮮は22日午後遅くまで金泳三(キム・ヨンサム)元大統領死去を報道しなかった。当然弔電もなかった。北朝鮮は金大中(キム・デジュン)元大統領と盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が死去した時は翌日に官営メディアを通じて関連ニュースを報道し、金正日(キム・ジョンイル)総書記名義の弔電を遺族に送った。

金大中元大統領が2009年8月18日に死去すると翌19日に死去のニュースを報道し、3日後の21日には金基南(キム・ギナム)労働党秘書と金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長ら北側代表6人で構成された高位級弔問使節団をソウルに送ってきた。盧元大統領が2009年5月23日に死去した時も翌24日に労働新聞など官営メディアを通じ関連ニュースを伝え、金総書記名義で弔電を送った。韓国政府関係者は、「北朝鮮は南北関係が良好だった当時の首脳が死去した場合に弔電を送る傾向がある」と話した。

 
金元大統領は就任当初、南北関係改善の意志が強かった。1993年2月の退任の辞で「どんな同盟国も民族より優位でありえない」と話した。だが、北朝鮮の核拡散禁止条約(NPT)脱退で触発された93年の第1次北朝鮮核危機、94年3月の「戦争が起きればソウルは火の海になるだろう」という北側の威嚇などの悪材料が続き対北朝鮮強硬策に変わった。

そうするうちに94年6月にジミー・カーター元米大統領が北朝鮮を訪問し南北関係に変化の契機ができた。当時の金日成(キム・イルソン)主席がカーター元大統領を通じ南北首脳会談を提案してだ。同年6月20日に南北間の実務接触が始まった。南側からは李洪九(イ・ホング)副首相兼統一院長官が首席代表として出た。6月28日に南北は7月25~27日に平壌(ピョンヤン)で初の首脳会談を開くことに合意した。だが、首脳会談直前の7月8日に金日成が心臓まひで急逝し、結局初の南北首脳会談の夢は未完に終わった。金元大統領は後日回顧録に当時の心境をこのようにつづった。「金日成死去の知らせに相当な衝撃を受けた。万感が交差した。50年間の民族の悲劇的分断と対立に決定的な責任がある独裁者の死、半月後に予定された歴史的な南北首脳会談にかけられた国民の希望と期待…」。

金泳三政権は韓中関係発展の礎石を積んだという評価も受ける。両国は92年に国交正常化してから94年11月に李鵬首相、95年11月に江沢民国家主席など中国の指導者が初めて韓国を訪れ首脳会談をした。

対日政策では強硬な立場を維持した。金元大統領は就任直後の93年に日本軍慰安婦問題に対しこれ以上日本に金銭的補償を要求せず、韓国政府が直接支援措置を実施すると明らかにした。代わりに「日本政府は実体を調査し責任を認めよ」と「道徳的圧迫」を加えた。東西大学日本研究センターのチョ・セヨン所長は「これは河野洋平官房長官が慰安婦動員に強制性があったという事実を初めて認めた河野談話を発表する背景になった」と話した。

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    2015.11.23 11:35
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    1993年7月11日、金泳三大統領が訪韓中のビル・クリントン米大統領(いずれも当時)とともに青瓦台でジョギングをしている。当時金大統領は米朝会談に対し強い懸念を伝えた。(中央フォト)
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