주요 기사 바로가기

<韓国半退移民>(上)海外開拓者…韓国人の海外移住の歴史

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.14 18:23
0
韓国人の海外移住は苦難の歴史であった。ユン・インジン高麗(コリョ)大学社会学科教授の『世界の韓国人移住史』によれば、韓国人の海外移住は150年余り前にさかのぼる。1860年代、飢謹と腐敗した官吏の暴政を避けて朝鮮人が故郷を離れ、清(満州)やロシア(沿海州)の地に渡っていき、農作業を始めた。20世紀に入ってからは西欧へと移住範囲が拡大した。サトウキビ農場への就職のために121人の韓国人が1902年12月、仁川(インチョン)の月尾島(ウォルミド)を離れ翌年1月ハワイに到着した。現在最も古い韓国人の公式移民録だ。1905年にメキシコに移住した1000人余りの韓国人はエネケン(Henequen)を収穫する労働者として働きに行ったためにいわゆる「アニケン(Anniquin)」と呼ばれた。

日帝強制占領期間にも間島(カンド)や満州・沿海州へと大規模な移住が行われた。沿海州の定着韓国人は30年代、ソ連政府によって強制的に中央アジアに移住させられて「高麗人」として生きる痛みも体験した。20年代、日本が第1次世界大戦の戦勝国として経済好況を享受すると韓国人は金を稼ぐために日本に発った。32年、日本が満州国を建設しながら韓国人を大規模移住させることもした。37年の日中戦争、41年の太平洋戦争以後は数多くの朝鮮人が鉱山や戦場に強制的に連行された。

 
45年の光復(解放)後、韓国政府が移民政策を樹立した62年前までは海外養子縁組や米国人との結婚、留学などが主だった。主な行先は米国やカナダだった。65年、米国が移民法を改正してアジア人にも移民の門戸を開くとさらに活性化した。62年以降は欧州や中南米に行き始めた。63年からはブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・ボリビアなど南米へと農業移民者が数多く行った。欧州ではドイツが主な移住拠点だった。63~77年の間に約5300人の鉱夫と1万人余りの看護師がドイツに向かった。

中東特需の真っ最中だった80年代には中東が主な舞台だった。97年の通貨危機後にはカナダ・豪州・ニュージーランド・東南アジアに行く「経済移住」が登場した。高学歴の専門技術職の従事者を優待するこれらの国に、雇用不安を持つ30代以上の家長たちが国を離れた。2000年代に入ってからは東南アジアや中国への移住が目立つ。最近の移民様相は過去とは全く違う。多くの人が韓国での経歴と資金を基に、事業や投資をするために海外に目を向けている。130年余りの間は植民地支配や戦争などから生まれた貧困を避け、追われるように故郷を離れた。今では自身の専門性を発揮したり、人生の余暇を見つけるための移住が増加している。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP