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<金泳三元大統領死去>就任後に辣腕振るい改革…執権後期にはIMF救済金融

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.22 09:39
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「文民政府」は金泳三(キム・ヨンサム)元大統領を象徴する言葉だ。 

金元大統領は1993年2月25日に大統領に就任した。1961年の5・16軍事クーデター以降31年間続いた軍事政権を断ち文民時代を開いた。彼は就任と同時に改革の刃をはばかることなく振るった。軍改革は目玉だった。彼は軍を掌握していた「ハナ会」を解体した。ハナ会は1979年の12・12クーデターを主導し、要職をすべて掌握していた。周辺では「中途半端な接近」を止めたが彼ははばからなかった。軍の大型不正も次から次へと暴いた。高位公職者も改革対象だった。彼は高位公職者の不正腐敗を防ぐという趣旨で1級以上の公職者の財産を公開するよう義務化した。不正な金の流れを防ぐとしてだれも予想できなかった時代に「金融実名制」を電撃導入した。

 
こうした一連の改革は世論の大きな呼応を受け、支持率は90%を超えたりもした。「歴史立て直し」も彼が掲げた主要な課題だった。朝鮮総督府の建物だった中央庁を撤去した。全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)元大統領に対しては不正腐敗と12・12クーデターに対する罪を問うた。1995年に検察が捜査を着手し2年後の1997年に大法院(最高裁に相当)は全元大統領に対しては無期懲役と追徴金2205億ウォンを、盧元大統領に対しては懲役17年と追徴金2628億ウォンの刑を確定した。

しかし執権後半期は平坦でなかった。1997年初めには韓宝鉄鋼、起亜自動車など大企業の不渡りが相次いだ。寵愛した二男の金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏の権力型不正が次々と明らかになり、金元大統領は対国民謝罪声明を発表する辱めを受けた。1997年後半には国家不渡り事態が発生しIMFから救済金融を受けることになった。

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