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<韓国、100年に進む成長エンジンを育てよう>(1)再び製造業だ…創業第1世代の挑戦と革新(上)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.17 10:43
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IT時代を予感し半導体産業に進出した故李秉チョル・サムスン会長(左から3人目)が1983年に京畿道器興工場敷地を調べている。(写真=サムスン)
「会社全体が倒れます」。

1983年2月にこうした報告を受けた故李秉チョル(イ・ビョンチョル)サムスン会長の顔が固まった。机の上には「技術もない小さな企業が経営者の欲のために無謀な事業を始めた」という投資家の報告書が積まれていた。

 
苦心した李会長が断固として話した。「よし、だれがなんと言っても押し進めると決心した。宣布しろ」。李会長の年齢は73歳だった。その翌月、サムスンの半導体事業進出が大々的にメディアを通じて知らされた。「半導体神話」の開始だった。

サムスンはその年、64KのDRAM開発に成功した。予想より3年早かった。だが、84年から続いたDRAM価格の暴落で4年間に1400億ウォンの累積赤字が発生した。李会長は87年に再び第3ライン増設という勝負に出た。「半導体事業がサムスンを揺るがしている」という懸念が再びあふれたが李会長は揺らがなかった。世界的にコンピュータの使用が活性化し、李会長が死去した87年11月の翌年にサムスンは一気に累積赤字を一掃することができた。92年には64メガDRAMで同分野1位に上り詰め、256メガDRAM(94年)、1ギガDRAM(96年)を世界で初めて開発し技術格差を広げていった。これを踏み台として韓国企業はDRAM世界シェア67.8%という圧倒的な数値で世界1位を守っている。ソウル大学次世代融合技術院センター長のソン・ウク氏(70)は、「国の未来と企業の未来を同一視した使命感のために企業の命運を賭けた挑戦が可能だった」と説明した。

故鄭周永(チョン・ジュヨン)現代(ヒョンデ)グループ名誉会長の無から有を創造した勝負は有名だ。71年9月に現代重工業建設に向けた借款導入のため世界的船舶コンサルタント会社A&Pアップルドアのチャールズ・ロングボトム会長に500ウォン紙幣を取り出して見せた場面が圧巻だ。紙幣に描かれた亀甲船を見せ、「韓国は英国より300年先にすでに鉄甲船を作った」という話で推薦書を受け取った。「船に瑕疵があれば元金を返し契約金に利子まで払う」という自信からまだ建設されてもいない造船所のタンカーを2隻も売った。このように74年に誕生した現代重工業蔚山(ウルサン)造船所は韓国の重工業分野の幕開けを告げた。韓国の造船所は世界の建造量の34.5%を占め1位に上がっている。


<韓国、100年に進む成長エンジンを育てよう>(1)再び製造業だ…創業第1世代の挑戦と革新(下)

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