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<韓国、100年に進む成長エンジンを育てよう>(1)再び製造業だ…経済奇跡70年

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.17 09:31
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光復後に成し遂げた産業強国と停滞する韓国製造業
1967年、ソウル・鍾路(チョンロ)の世運(セウン)商街に、ある製造業者がソウル事務所を開いた。この会社の蔚山(ウルサン)工場ではフォードから持ち込んだ「コルティナ」を組み立てた。1日10台ほど、1年に3000台の生産がすべてだった。現代(ヒョンデ)自動車はこのように始まった。69年に学生軍事教育団(ROTC)公開採用で入社したイ・チュング元現代・起亜自動車研究開発本部長(社長)は、「技術らしきものもなくボルトとナットを締める水準だった」と回顧した。

そして半世紀が過ぎた。現代自動車グループは年間800万台の自動車を生産する世界ビッグ5のメーカーとなった。その土台は途轍もない努力と根性だった。80年代半ば「独自エンジン」の開発に乗り出した時は提携企業だった日本の三菱が妨害し、ドイツの部品メーカーのボッシュは“三流会社”だとして取り引きを拒否したが、結局目標を達成した。

 
光復(解放)70年、最貧国の大韓民国は世界の経済大国に堂々と名前を上げた。その裏には企業家精神で武装した創業者と良い暮らしをしたいという意志で固く団結した技術者と労働者の汗があった。半導体、造船、建設業なども同様の成長の道を踏み世界的産業へと規模を拡大した。

光復直後の1人当たり所得は60ドル台で、アフリカのソマリア水準だった。しかしこれら主力産業のおかげでいつのまにか3万ドル時代を目前にしている。『私は韓国が恐ろしい』の著者であるキム&チャンのジェフリー・ジョーンズ弁護士(元駐韓米国商工会議所会長)は、「韓国の主力産業の競争力は海外でさらに認められている。これらがさらに自由に競争力を発揮するよう助け、これからの70年を準備しなければならない」と話した。

だが、状況は容易でない。韓国企業が駆使してきた「ファーストフォロワー」(速い追撃者)戦略はすでに限界に達した。世の中にない製品やサービスを出す「ファーストムーバー」(市場先導者)でなければ生き残りは難しい。

ゼネラルエレクトリック(GE)のマルコ・アヌンシアタ主席エコノミストは「3Dプリンティング、自動化センサーのような先端情報技術を融合し韓国製造業の競争力を1次元高めなければならない」と注文した。現代経済研究院のチュ・ウォン産業研究室長は、「大きな困難を経験している造船・鉄鋼・石油化学などから高付加価値中心に構造調整に出なければならない」と指摘した。

韓国の主力企業もこうした状況を把握し反撃を準備している。取材チームが訪れたポスコ・光陽(クァンヤン)製鉄所では親環境新工法を通じた高強度鋼板の開発に勝負をかけた。京畿道義王(キョンギド・ウィワン)の現代自動車中央研究所はITを結合した無人走行技術を武器として整えていた。

ソウル大学のソン・ビョンラク名誉教授は、「経済史的に見ると自動車・建設などは持続的に育てなければならない産業。これを疎かにすれば結局ギリシャのような国に転落するだろう」と強調した。ソウル大学経済研究所のイ・グン所長は「製造業は融合する傾向にあるのに、これを妨げる規制の仕切りは相変わらずだ。政府からファーストムーバー(先導者)という認識を持たなければならない」と強調した。

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