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【時論】放送公正性の評価、民心がものさしだ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.29 15:31
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放送の恩恵にあずかった人物として、第2次世界大戦時にフランス亡命政府の指導者だったシャルル・ド・ゴール将軍を外すことはできない。1940年6月16日、フランス軍参謀総長ペタンがナチスドイツに降参するとド・ゴールはロンドンに亡命する。2日後の6月18日、フランス国民は英国の公営放送BBCラジオから流れるド・ゴールの呼び掛けを聞くことができた。

「フランスのレジスタンスの火は消えてはいけない。また決して消えることもないだろう」。

 
ド・ゴールは自身を中心に自由フランス軍と共にフランス内外でナチスドイツに対する抗戦を展開していこうと力説した。それが「自由フランス放送」の始まりだった。その時のド・ゴールはそれほど有名ではない軍人だった。しかし欧州各地のフランス人にはそのメッセージが闇の中の一筋の光と同じだった。また欧州で「レジスタンス」という時代語が誕生した背景でもあった。その後パリで『レジスタンス』という表題で地下新聞が発行された。ド・ゴールはいつも自由フランス軍司令官の肩書で電波に乗った。そんなある日からド・ゴールは連合国の指導者が誰も無視できない大物になっていた。フランスの民心がすでにド・ゴールを国民的指導者に受け入れていたためだ。放送が民心を形成させた歴史的な実話だ。

この頃、韓国の国民的映画に浮上した『鳴粱(ミョンリャン)―渦巻く海』も民心をキーワードとするに値する。鳴梁大捷(慶長の役における海戦の一つ、鳴梁海戦)が終わった後、李舜臣(イ・スンシン)と息子の李薈(イ・フェ)がこんな対話をする。

「父上、鳴梁海峽の旋風を利用した戦術だったのですか?」「天の幸いだった」

「旋風が起こらなかったら、難破していたのではないですか?」「国民らが(旋風に閉じ込められた)私の船を引き出さなかったら難破するところだったろう」

「旋風でなく国民らの行動が天の幸いだったというお言葉ですか?」「君はどれが天の幸いだと思うのか?」

李舜臣は民心が天の心だと信じた。東西古今を問わず歴史の方向性を牽引するのはいつも民心だった。

セウォル号惨事以後、政府の支離滅裂ぶりや7月30日の再・補欠選挙の野党惨敗は全て民心をまともに読み取れていないからだ。この渦中でKBS(韓国放送公社)とMBC、そして一部の特別放送も民心の叱責を受けた。民主政治というのは、手続きに関する用語(procedural terms)であり、特に選挙の命は手続き的な正当性だ。その選挙を決定することが民心であり、放送は民心の形成に大きな影響を与える。したがって放送が政治的に偏向していて公正でなければ、民心が非正常的に形成されて選挙がわい曲されてしまう。


【時論】放送公正性の評価、民心がものさしだ=韓国(2)

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