【コラム】日本の中の韓国

【コラム】日本の中の韓国

2009年04月22日16時23分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  日本史に関心が持つ企業関係者の要求で、私は久しぶりに京都・大阪・奈良を訪れた。 今月第2週の週末を利用して2泊3日間、歴史を説明しながら一緒に回る歴史紀行だった。 大学で日本語と日本文化を専攻したガイドの説明もあり、有意義な楽しい旅となった。

  一緒に行った人たちは日本への関心が強いため、普通なら30分ほどで回るところを1時間以上かけて一つひとつ丁寧に見ていた。 この地域は日本古代国家の歴史が生きているところで、法隆寺・東大寺・広隆寺などを訪れながら古代韓日交流の歴史を随所で感じることができた。 みんなが驚いたのは、日本の寺院や城の規模が非常に大きいという点だった。 規模が小さい建物は国ではなく個人が建立したものだった。 日本の過去の建築物を見ながら、改めて気づいたことも多かった。

  仏国寺(プルグクサ)が建立された新羅(シルラ)時代、新羅の華厳宗を日本の国教とした当時の日本の天皇家は、日本華厳宗の本山として東大寺を建立した。 したがって仏国寺と東大寺は‘兄弟’関係となる。 石窟庵(ソクルアム)の大仏と東大寺の大仏も‘兄弟’だ。 私がそう説明すると、東大寺の大仏の大きさに感嘆した同行者の一人が「日本の大仏が兄さんだ」と話した。 それほど東大寺の大仏は重量感を誇っている。

  この地域の寺院は想像を超えるほど規模が大きいものが多い。 日本の仏教の聖人と呼ばれる親鸞が開始した浄土真宗の本山である西本願寺を訪れたときも、その大きさに圧倒された。 寺というよりは巨大な成のように見える西本願寺。 このように大きな寺院を建立した理由は、織田信長と戦おうとする僧兵の拠点だったからだ。

  日本の歴史的建築物の大きさは大阪城で絶頂に達した。 現在の大阪城は徳川時代に本来の大きさの3分の1に縮小されたものという。 今でも大きいが、この城がかつてどれほど雄壮だったのかは想像するのも容易でない。 城壁には巨大な岩が多いため、城を築く時に大勢の人々が動員されたことはすぐに察することができる。

  日本の古代建築物は結局、力の象徴だった。 権力者は自分の力を誇示するために寺や城を大きく築いたのだ。 歴史は常に繰り返されるもので、結局は戦争と対立の歴史だという気がする。

  私たちは旅行の最後に大阪にある東洋陶磁器美術館に寄った。 観光客はあまり行かないところだというが、私たちにはいろいろと感じることが多かった。 そこには韓半島からいろんな経路で日本に渡っていった青磁・白磁をはじめ、数多くの朝鮮の陶磁器が展示されていた。 在日韓国人が収集して博物館に寄贈したものも多かった。 同行した人たちは「韓国にあればすべてが国宝級宝物だ」と異口同音に話した。

  2泊3日間、日本の中の韓国を私たちは様々な形で感じることができた。 巨大な建築物の規模に圧倒されながら、それが‘刀の歴史’だったからだという点に気づき、最後に訪れた陶磁器博物館では、小さいけれど民族の魂が込められた陶磁器に会い、誇りを感じながらも過去の悲しい歴史を振り返らざるを得なかった。 そして韓国の陶磁器にとって日本は永遠の外地だということを改めて感じ、切ない気持ちになった。
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