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【時視各角】浅薄は卑屈を食べて育つ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.19 16:14
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収容所に閉じ込められた捕虜は本能的に卑屈になる。監視兵の虐待から生き残るためだ。だが、卑屈になればなるほど虐待も激しくなる。監視兵が捕虜の卑屈さを面白がるためだ。ある日、収容所にある淑女が現れる。将校出身の捕虜は彼女を向かい側の席に座らせて丁重に対応する。彼女は将校が作り出した仮想の人物だ。将校は他の捕虜が紳士らしくない行動を取るたびに叱る。「淑女の前で何をしているのだ」。その後、驚くべきことに捕虜の行動が変わる。低劣さが消えて堂々とするようになる。捕虜の変化に監視兵は混乱に陥る。その理由が淑女の存在ということを知って逮捕しようとするが、捜し出す方法がない。捕虜のマナーある行動に監視兵は当惑を隠しきれない。

20世紀のフランス作家ロマン・ガリーの長編『自由の大地―天国の根』に登場する話だ。製薬会社の口の悪い会長の記事を読んで、この部分が頭に浮かんだ。自分の運転手を召使を働かせるようにやっていた人格虐待が、人間の尊厳を抹殺する監視兵の虐待とうり二つだったためだ。運が悪くて(?)明るみになっただけで、この事件以外にも、人間性に一方的に害を加えながらも一毛の罪意識も感じない浅薄さがこの地にあふれていないだろうか。

 
会長の運転手に対する虐待は。これまでも耳にタコができるほど聞いた話で、いまさら驚くようなことでもない。当然支払われるべき報酬を、恩典を施しているように考える態度にただあきれるばかりだ。驚くのは、反対方向の雇用-被告用関係でも虐待が発生するということだ。特権層の浅はかな選民意識がそうさせる。「食事の準備をするお手伝いのおばさんが何の正規職か」という暴力が、だから国会議員の口から出るのだ。被雇用者である国会議員が雇用者である国民を虐待するのだ。雇用者にしても被雇用者にしても、学習効果があったからか、問題になれば謝罪はすぐにするものの、本心からではないので大して効果はない。ちょっとしたミスから出てきた虐待というものはない。

こういう浅薄な虐待は減りそうになく、程度も弱まるように思えない。かえって両極化に歩調を合わせるようにして一層激しくなるのが明らかだ。「これからは錠剤で作った『人間性』を買って食べなければならない時期が来るだろう」というガリーの予言をただの誇張だと笑って聞き流せないのはこのためだ。実に、私たちにも「淑女」が必要なようだ。だがどのようにして? ガリーとほぼ同じ時代を生きた英国の小説家イーヴリン・ウォーからヒントを得ることができるかもしれない。

ウォーは4階級の「理想社会」を提唱していた。この4階級とは、君主-貴族-産業・専門家-労働者の伝統分類と大差ない。ウォーが強調したのは各階級の徳性だ。最上位階級の徳性は「名誉と正義」だ。2番目は「伝統と道徳、気品の守護」で、3番目は「清廉と潔白」、4番目は「熟練技術」だ。ウォーは各階級が自身の徳性に忠実な社会は永遠不滅だと考えたが、その一方で、そのような社会は「存在したこともなく、今後存在することもなく、毎年徐々に遠ざかっている」と認めた。

傾聴すべき部分は次の一節だ。「流行する時代精神に異議を表現するほど、その時代精神を没落に陥れる可能性が高くなる」。浅薄な虐待が乱舞する世相を嘆きながらも、そのような世相に屈従する生き方が集まっては社会維持できないということだ。今日は階級社会ではないが、ウォーの徳性を備えなければならないそれぞれの位置があるのは明らかだ。正義を守るべき場所があり、道徳を守るべき場所があり、そして清廉であるべき場所があるということだ。そのような徳性が失われる時、虐待が発生する。そのような場面の前に立つたびに、私たちの「淑女(または、紳士)」が見守っていることを思い出さなければならない。堂々と対抗し、なくした徳性を取り戻してやらなければならない。浅薄は卑屈を食べて育つ。

イ・フンボン/論説委員

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