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<アジア大会>左利きの高校生がピストルで金… “ロール モデル”秦鍾午を越える

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.22 09:55
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あどけない表情の高校生は金メダルを確定させた瞬間、空に向かって手を振った。空から見守っていた父親に向けたセレモニーだった。

キム・チョンヨン〔17、清州(チョンジュ)・興徳(フンドク)高2〕が仁川(インチョン)アジア競技大会で初めての2冠王に輝いた。キム・チョンヨンは21日、仁川・玉蓮(オクリョン)国際射撃場で開かれた射撃男子10メートルエアピストル決選で201.2点を記録して金メダルを獲得した。これに先立ち、キム・チョンヨンは本戦で秦鍾午(チン・ジョンオ、35、KT)やイ・デミョン(26、KB国民銀行)と共に団体戦でも金メダルを獲得し、大会初の2冠王になった。

 
キム・チョンヨンが銃を初めて握ったのは2010年12月だった。中学1年だった同年冬、キム・チョンヨンは運動場でサッカーをしていた。その時、体育の先生がやってきてこう言った。「銃を撃ちたい生徒は出てきなさい」。少年は好奇心に勝つことができず体育の先生のあとをついていった。ところが元テコンドー選手の父親は息子が射撃をすることに反対した。運動選手の道がどれほど大変なのかよく知っているためだった。しかし射撃の魅力にすっかり取りつかれたキム・チョンヨンは銃をやらせてほしいと懇願した。父親は「2等はない。始めたのなら最後までやって1等を取れ」と話して許した。

父親のキム・ジュフンさんは翌日、嘘のように亡くなった。肋骨にひびが入って病院に行ったが3時間後に息を引き取った。医療事故だったという。クリスマスイブにキム・チョンヨンは父親を失った。しかし14歳の少年は強かった。母親を抱きしめて「お母さんとお姉さんは僕が守る。必ず親孝行する」と約束した。キム・チョンヨンの師匠である興徳高のパク・ウンギュ・コーチは「チョンヨンは辛いとき、空にいる父親に助けてほしいと祈りながら訓練にまい進した」と話した。

キム・チョンヨンは左利きだ。左利き射撃選手は韓国では5人もいない。隣の射撃台に立った右利き選手はキム・チョンヨンと向かい合うとやりにくさを感じたりもする。

キム・チョンヨンはオリンピックだけで金メダル3個を獲得した秦鍾午をロールモデルと考え、彼の長所を吸収するために努力した。秦鍾午はキム・チョンヨンに「射撃は体ではなく気持ちで撃つもの」と助言した。

キム・チョンヨンは恥ずかしがり屋だが射撃台に立つと目つきが変わる。同日もキム・チョンヨンは本戦4位で決選入りしたが、最下位1名ずつ脱落する8発目から驚くべき集中力を発揮した。11回発目では決選であまり出ない10.9点満点を命中させた。

母親のオ・セミョンさん(46)は息子が射撃台から銃を撃つたびに背を向け、「タンッ」と音がした後に息子を見つめた。オさんは「チョンヨンは鼻炎持ちだがドーピング検査のために薬を飲むことができなかった」とし「不思議なことにチョンヨンは競技場に行けば鼻炎症状が収まる。先に逝ってしまった夫が助けてくれているのかもしれない」と話した。

秦鍾午は競技を終えた後、「新しい英雄の誕生を喜んでほしい」と話した。キム・チョンヨンは「太極旗が掲げられるところを見て多くの考えがよぎった。父の墓を訪ねて挨拶しなくては」と話した。

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