【コラム】核を売る乙女、玄松月(2)

【コラム】核を売る乙女、玄松月(2)

2018年02月06日11時49分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  平壌の客は昨日も来て、今日も来る。吹雪にでもなれば国家情報院は傘を提供し、青瓦台は平壌当局が機嫌を損ねないようにあらゆる世話をするだろう。故人となった歌手ペク・ソルヒが歌った「春の日は去っていく」の女性のように。「今日も服の紐を噛みながら行く山燕が飛び交う城隍堂への道」で「綿密なあの約束」を疑わない女性。分かってはいるだろう。平壌当局がグローバルショー舞台で若い芸術人を披露し、世界の人々の目を引きつけようという思惑を。『花を売る乙女』で感情を刺激して核遊びの記憶を消すというその音楽政治の中の深い意味を。

  金正日作詞・作曲の主題歌が響く舞台の場面はこうだ。「花はいりませんか、花はいりませんか、きれいな赤い花/病気の母の薬を買うために心をこめて育てた花/花はいりませんか、花はいりませんか」。主演俳優の素朴なメロディが心を打つ時、背景の画面には千里馬運動とミサイル発射の場面が革命意志を高める。これが音楽政治の実体だ。

  平壌は韓国民謡と世界名曲を演奏すると韓国当局を安心させた。綿密な約束通りにアリランを歌ってベートーベンの交響楽を演奏する。玄松月が南側の男性の心を動かし、世界の人の賛辞を受ける。

  南北対話の窓が開かれる。民族の地位と資質が高まる。そうなればいい。心から歓迎することだ。しかし忘れてはいけないことがある。音楽政治の本質は変わらないことを。玄松月の前の姿は「花を売る乙女」であり、後ろの手には核兵器を持っていることを。いわば「核を売る乙女だ」だ。「核はいかがですか、核はいかがですか、人民の血で作った美しい核」。分かってはいるが、「今日も凍った胸をたたきながら信頼できないその約束」に心を託してみる南側に春は来るのか、それとも一撃を食らうのか。春の日はすでに去ったが。

  宋虎根(ソン・ホグン)/中央日報コラムニスト/ソウル大教授

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