よみがえる円高の亡霊…気をもむ黒田日銀総裁(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.04.11 09:00
グローバル景気低迷、原油価格下落、中国の成長鈍化が円高の伏兵の役割をした。世界経済が下方曲線を描くと円は相対的に安全な投資先と見られた。日本銀行は量的緩和を通じて3年間に200兆円をばらまき、1月にはマイナス金利まで導入したのに力不足だ。ブルームバーグは「日本銀行の通貨政策が市場で無視されている」と伝えた。
中央銀行の信頼が壊れるのは危険なことだ。日本銀行は過去にも痛い経験がある。89年12月から94年12月まで日本銀行を率いた三重野康総裁は物価安定の中の成長を掲げ「庶民の中央銀行総裁」と呼ばれた。彼は不動産価格が暴騰するとすぐに物価を抑えるために緊縮の手綱をつかんだ。1年もたたずに基準金利は4.25%から6%台に上昇した。物価は抑えられそうだったが伏兵が現れた。米国が91年にマイナス成長となり打撃が一度に集まった。弱り目にたたり目で日本の不動産投資家は金利引き上げ負担から不動産を投げ売り始めた。92年には不良債権に耐えられなくなった124の金融会社が破産を宣言した。失われた20年の始まりだった。日本銀行の誤った判断で長期沈滞を呼び起こし、その中心に三重野総裁がいたという声まで聞かなければならなかった。