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【コラム】ドイツの統一と再統一=韓国(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.11.25 17:55
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ビスマルクは豪快な武力より慎重な外交をいつも強調した。軍事力で絶対優位はありえず、現実的にいつどんな逆襲に遭うかもしれないのが国際関係だという理由からだ。力で相手を無慈悲に踏みにじったり侮辱したりする行動は避けた。代表的なことが1866年のオーストリア・ハンガリーとの戦争当時、オーストリア領ボヘミアのケーニッヒグレーツで行われた戦闘で、プロイセン軍が大勝した直後のことだ。相手が壊滅すると国王ウィルヘルム1世と将軍はボヘミアを接収し、更に進んでオーストリア・ハンガリー帝国の首都のウィーンに入城しようとした。これに反対したビスマルクは、軍司令官として参戦していた皇太子を通じて国王を説得することで、かろうじて進軍を取りやめさせ、交渉によって戦争を終えることができた。

ビスマルクは「優しい平和」を望んだ。相手に恥辱を抱かせ、後で報復を招くような領土併合や大規模勝利パレードを慎んだ。その代わりにオーストリアと速やかに親善関係を復旧した。おかげでプロイセンは寝首をかかれる心配なく、また他の統一牽制勢力であるフランスと1870~71年に戦い勝利することで統一を成し遂げることができた。

 
ビスマルクは事実、プロイセン・オーストリア戦争直後に暗殺されるところだった。プロイセン主導の統一に反対したドイツの急進主義者フェルディナンド・コヘンブリントが近距離から五発の銃を撃ったがビスマルクは軽い負傷だけで済んだ。通常、そのような危害を加えられれば怒りのために感情的になるはずだ。だが、彼はこれを押さえ込んで冷静に宰相の役割をつくした。私たちは韓半島(朝鮮半島)統一のためにどれくらい冷静に状況に対処しているだろうか。

チェ・インテク中央日報論説委員(中央SUNDAY第402号)


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