【コラム】誰もが弱者ばかりの世の中=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.17 13:51
軍隊も大きく見れば社会の縮図だ。私たちは強者が幅をきかせる世の中、思うままにして法や制度まで掌握する世の中を長年経験した。民主化が進んで権利意識が本来の位置に戻りながら、軍隊でも一般社会でも、度を超えた行為が次から次へと報復にあい始めた。SNSを中心に「甲」に対する怒りが共感の旋風を呼び起こすことが日常化した。時にはセウォル号遺族と代行運転手のように旋風が別の旋風と衝突したりもする。「乙」同士のぶつかり合いだ。ドラマ『未生』を観ている数多くの視聴者の大部分が、ある場では甲に、別の場所では乙や丙になるという多様な社会的関係のネットの1人であるはずなのに、テレビの前だけでは誰もが乙の心情で共感している。誰もが乙であり被害者なのだから趙顕娥(チョ・ヒョンア)前大韓航空副社長のような「スーパー甲」が標的に浮上すれば、それこそ国民的な怒りが降り注ぐ。
私はいわゆる「ナッツリターン」事件を「政治民主化・経済民主化とはまた別の、あるいは対応する概念として、社会民主化が重要だと思うようになる」兆候だと把握した金皓起(キム・ホギ)延世(ヨンセ)大学教授の意見に同意する。しかし別の面では、事態の展開が「乙たちのむなしい祭り」のようだという印象をぬぐいきれない。誰もがそれぞれを乙であり被害者だと自認する社会的風土に投げられた、おあつらえ向きのエサのようだという感じだ。『未生』に対する熱狂と賛辞からも似たような印象を受けるが、なぜか集団的な自己慰安と代理満足、さらには自己欺瞞まで宿っているようだからだ。