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チョン・ユラ容疑者はこうして面接でトップになった…入試の再構成

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.04.15 13:34
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2014年秋、梨花(イファ)女子大では崔順実(チェ・スンシル)被告の娘チョン・ユラ容疑者(デンマークで拘禁中)に関連してどのようなことがあったのか。

国政壟断の証拠物であるタブレットPCの内容が報道(昨年10月24日、JTBC)される前、梨花女子大の学生の間ではチョン容疑者の裏口入学と学事不正に関する告発が続いた。「朴大統領の側近の娘という理由でチョン・ユラが優遇された」という学生たちの主張は、ソウル中央地裁で開かれている崔被告と崔京姫(チェ・ギョンヒ)前梨花女子大総長の裁判の過程で事実と確認されている。

 
◆「総長が選抜するようにと」

2014年9月22日、当時のナムグン・ゴン入学処長はユン・ソクヒョン管理部処長とぺク・ジヨン相談部処長を呼ぶ。入学願書受付の締め切りから1週間後だった。ナムグン処長は「(キム・ギョンスク新産業融合大学長が)チョン・ユンフェ氏の娘がうちの大学に志願したと知らせてきたので総長に報告してきたところだ」と説明した。ナムグン処長は、「チョン・ユンフェ氏とは誰ですか」という崔京姫総長の質問に対し、朴槿恵(パク・クネ)大統領との関係を紙に描いて説明したという。「選抜するようにと。そして私(総長)は知らないことにしてほしいと」。2人の部処長が記憶するナムグン処長の言葉だ。

◆「(面接)教授が体調崩して私が代わりに」

翌月18日、体育特技者の面接考査があった。キム・ギョンスク学長はぺク・ジヨン相談部処長にぎこちなく「私は学長だが、ここ(面接)に入ってもよいか」と尋ねる。「かまいません」と答えると、キム学長は「ハム・ジョンヘ教授が体調を崩してやむを得ず私が来た」と伝えた。ペク部処長は面接委員名簿に一度変更があったことは聞いていたが、誰が委員かは機密事項であるため知らなかった。ペク部処長が当時の面接委員名簿を見て驚いたのは2年後だった。朴英洙(パク・ヨンス)特別検察官チームが取り調べの過程で見せた1、2次面接委員名簿にキム学長の名前が2つともあった。キム学長は最初から面接委員に含まれていたのだ。

◆「金メダルです、金メダル!」

面接考査が始まる前、面接委員のオリエンテーションがあった。ナムグン処長はあいさつの言葉を述べた後、「今回、うちの学校にアジア競技大会の金メダリストが志願したというのを知っているでしょう」と話し始めた。驚いたユン・ソクヒョン部処長が面接委員に「冗談と思って聞いて独立的に評価してほしい」と話したが、「総長が無条件に選ぶように話した」というナムグン処長の言葉と重なった。ナムグン処長は面接委員らにこのように叫んだ。「金メダルです、金メダル!」。しかしメダルの実績は考慮しないことを3週前の「入学選考公正管理対策委員会」会議で決定していた。

◆「面接は退屈だった」

面接考査を終えた学生が次々と出てくると、廊下ではある助教が面接を受けた学生の中から任意に選んで面接の感想を尋ねる出口調査をしていた。ちょうど5分ほどの面接を終えてチョン・ユラが出てきた。チョン・ユラが誰か知らなかった助教が短い調査を終えると、廊下でこれを見ていたペク部処長が「あの学生は何と話したのか」と尋ねた。助教はこう答えた。「退屈だったと言っていました」。

◆「私は事後報告を受けたということで…」

2015学年度随時募集体育特技者選考の合格者発表が最終決定した10月28日の教務会議の前、ナムグン処長はユン部処長とともに崔京姫総長を訪ね、チョン・ユンフェ氏の娘が合格したと報告した。崔総長は「それは誰ですか」と尋ねた。ナムグン処長は「大統領の側近」という表現を使いながら説明していた。すべて聞き終えた崔総長の言葉はこうだった。「そうですか。私は事後報告を受けたということにしてください」。

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