【コラム】大気汚染、なぜ解決されないのか=韓国(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.07.05 15:16
1988年(ソウルオリンピックが行われた年)のある日、農楽隊の先頭でも見ることができた長いさお竹に「農者天下之大本(農業は天下の人々が生きていく大きな根っこだという意味)」という言葉の代わりに「無石無弾」という言葉が登場した。その翌日、学生たちがさお竹を持って現れた。今度は「無弾無石」だ。石を投げなければ撃たないというのが警察の立場だったし、撃たなければ石を投げないのが学生たちの話だった。オリンピックを誘致したがソウルの大気汚染をめぐって国際的な憂慮が提起された。格別の対策が必要だった。催涙弾の発射とデモを自制しようというさお竹の登場だけでなく高強度の大気汚染防止措置が取られた。
1985年に温山(オンサン)病と呼ぶ公害病が発生した。温山地域は非鉄金属産業団地が造成された地域だ。ところが大気・水質・土壌汚染が複合的に作用した環境汚染が危険水位を超えたのだ。被害者は近隣に住む労働者とその家族だった。温山病は環境汚染問題を超えて労働運動の重要イシューになった。政府は温山病発病の翌年、当時の環境保全法で大幅に強化された環境規制を含めた。