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【噴水台】私たちは安全費用を出しているのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.03 15:26
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数日前のことだった。飛行機が動くのを感じて眠りに落ちた。もうすぐ目的地だろうか。違っていた。安全の問題で運航できるかも、できないかもしれないというアナウンスが流れた。出発時間から30分過ぎた頃だった。搭乗客はしかし動揺を見せなかった。

その時、九宜(クイ)駅の事故に憤慨していた知人のポスティング(ネット上のメッセージ)を見た。午後5時57分に死亡事故が発生したがそれから26分後に列車の運行が再開したことについてだ。彼は「問題が起きれば出動しなければならない時間が何があっても1時間、人が亡くなって収拾する時間が20分余り。このような驚くべきスピードでスクリーンドアの故障が解決され、列車の運行が再開されなければならないのか」と尋ねた。

 
いけないに決まっている。英国では人命事故が起きれば半日以上にわたり列車の運行が中断されたりする。信号不良による遅延は日常茶飯事だ。20分間列車に閉じ込められたこともある。患者の移送を理由にプラットホームを空けたのも見た。安全の問題はここでは日常だ。

ソウルメトロが運行支障について謝罪したのを見た。最初は亡くなった青年のせいにしていたという。失った命よりも生きている者たちの少しの不便さの総合のほうが申し訳ない社会なのだな、ものすごい現世主義が恐ろしかった。

飛行機の中を技術者が行き来した。30分後「幸い安全には関係のない問題なので飛行することにした。関連書類の作業さえ終えれば出発する」と言った。機内は依然として物静かだった。再び30分流れて「雷・稲妻のため離陸できない。待ってほしい」とアナウンスが流れた時に初めて愚痴が聞こえた。たった1人の、それも一言(Jesus)だった。

メールボックスにはロンドンブリッジ工事の件もあった。保守工事のため週末に一部の路線運行を中断するという告知だった。本当にスクリーンドアを直すことがそんなに火急だったのだろうか。該当ドアを利用するなと案内すれば良いことではないのか。「接近禁止」のテープを付けて、それでも不安ならば職員が立っていれば良かったのではないか。

私たちはこのようにすぐにできることの代わりに、長時間かつ莫大な財源がかかる「解決法」から深く考える。数人の過ちだけに限定した引責論でも沸き立っている。大きな真実は見ないでいる。お金と時間、不便というコストを払わずに、早く・楽で・安全になることを期待できないということだ。結局、誰かが費用を肩代わりするのだが、だいたいははしごの一番下にいる者たちであるかもしれないという事実もだ。私たちは潔くない。

飛行機は結局、離陸した。2時間遅く出発した分、遅く到着した。乗客も乗務員もしかし通常の飛行と変わらず笑って別れた。とても明らかな話だが安全は全員の役割だ。

コ・ジョンエ ロンドン特派員

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