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【コラム】韓国の学校、席次発表をやめるのはどうか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.03 16:54
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大韓民国は競争が非常に激しい社会だという。周囲を見ると、教育・職場はもちろん、恋愛競争も多くのストレスを与えているようだ。資本主義体制であるから競争が激しくなるしかない。社会にプラスの影響もあるが、マイナスの影響も少なくない。

ドイツも韓国とはやや異なるが、基本的には資本主義社会であるため競争を肯定的に見る。ドイツには「競争は事業に活気を与える」(Konkurrenz belebt das Geshaeft)という言葉がある。「健全な競争」(gesunder Wettbewerb)もよく強調される。お互い配慮して過度に妬まずに競争すれば、各自の商品価値と品質が高まるということだろう。

 
人々の間で健全な競争があれば、これを通じて実力を高めて発展することができる。経済では消費者の選択の幅が広がり、市場が増える。競争の過程で国が「警備の役割」をしながら福祉を増進させ、貧富の格差が激しくならないよう助ければよい。個人的には「完全に自由な市場経済」より「社会的市場経済」と呼ばれるドイツの経済形態がよい。適当な福祉制度は健全な競争を可能にするからだ。

では、教育分野でも競争が必要だろうか。私はそう思わない。韓国の学校でクラス別に席次を出すという話を聞いて驚いた。さらに韓国では「誰がもっとよくできるのか」「誰が最もできないのか」という話をよく聞く。ドイツの学校では誰がトップかを発表するだけで、残りの生徒の席次は先生のほかには分からない。妬んだりからかわれたりすると生徒の意欲が落ちると考えるからだ。

人によって得意な科目と関心分野は異なる。学校とは一緒に勉強し、お互い助け合う精神と勉強への情熱を育てるところだ。したがって「誰がもっとできるのか」という質問は、鳥と虎を比較して「どちらが優れているのか」と問うように意味がない。それよりも「この人は何が得意か」という質問が重要だと考える。教育では他人と比較するより、自分が発展するという概念がより重要であるからだ。

競争があまりにも激しければ妬みや過度な欲が出る。生徒はそのような感情のために不安になり、人格的な成長も遅れる。生徒はみんな「私たちの」子どもという考えで席次発表を思い切ってなくすのはどうだろうか。失うものは過度な競争であり、得るものは健全な競争ではないだろうか。

ダニエル・リンデマンJTBC「非首脳会談」出演者

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