<光復70年臨時政府の痕跡を探して>(上)独立活動家・金九先生が銃弾受けた長沙臨時政府庁舎(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.11 10:47
中国南部広西自治区の柳州は、韓国人はもちろん普通の中国人にとってもなじみ薄い地名だ。韓国との交流がほとんどなく、海外同胞は50人余りに過ぎない。だが、この場所ほど韓国との縁を大切に守っている所も珍しい。柳州は大韓民国の臨時政府が1938年10月から翌年4月まで駐在していた所だ。これを記憶するために市政府は臨時政府の要人たちが滞在していた2階建物を復元して「大韓民国臨時政府抗日闘争活動展示館」として整備した。館内は金九(キム・グ)先生の胸像や当時の臨時政府の活動を説明する資料・展示物でいっぱいだ。臨時政府は柳州にいた半年間に左右合作に成功して軍事委員会を設置し、光復軍の前身である「光復陣線工作隊」を組織した。
残念なのは開館10年余りが過ぎてもここを訪れる韓国人が非常に珍しいという事実だ。交通が不便なせいもあるが存在自体を良く知られていないことが根本的な理由だ。「光復70周年臨時政府大長征」の参加者33人と関係者たちはみな「こうしたひっそりした所にまで臨時政府が来て活動していたという事実を初めて知った」と口をそろえた。現地の大学で語学研修中のキム・ソンヨン氏は「3回来たが韓国人はただの一度も見かけなかった。展示館はしっかり整っているが、入口で現地の人たちがカード遊びをしながら時間を過ごす場所として使われていて残念だった」と話した。現地の観光ガイドは「ここから2時間の距離にある有名な観光地、桂林に韓国人団体旅行客を数えきれないほど案内したが、ここには一度も来たことがない。こんな施設があることさえ知らなかった」と話した。