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<サッカー>韓国五輪代表監督「選手時代の1次リーグ敗退、リオで雪辱」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.18 17:16
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「運命だと思った」。サッカー韓国オリンピック(五輪)代表の申台龍(シン・テヨン)監督(45)は飛行機の中で運命が変わった。1日、豪州シドニーから韓国行きの飛行機に乗る時はA代表チームのコーチだったが、降りる時は五輪代表の監督になった。シュティーリケ監督(61)を補佐し、韓国代表のアジアカップ準優勝を支えた申監督は、イ・グァンジョン監督(51)が急性白血病の診断を受けて五輪代表の指揮棒を下ろしたことで、重責を担うことになった。

申監督は城南時代、Kリーグで初めて選手-監督としてアジアチャンピオンズリーグとFAカップの優勝を手にした。1992年バルセロナ五輪に選手として出場した申監督が、2016年リオデジャネイロ五輪本大会にチームを導けば、韓国サッカーで選手-監督で五輪舞台を踏む3人目の人物となる。16日にソウルサッカー会館で会った申監督は「バルセロナ五輪3分けでグループリーグで敗退した悔しさを晴らしたい」と語った。

 
--監督を受諾した過程は。

「アジアカップの帰国の飛行機で、隣の席にいた李用秀(イ・ヨンス)技術委員長が突然、『五輪代表チームを引き受けることができるか』と尋ねてきた。アジアカップ決勝(1月31日)の前日、イ・グァンジョン監督が急性白血病という診断を受け、李委員長が悩んだ末、私に意志を打診したということだった。アジアカップを終えた後、十分に休めず、飛行機に乗ってうとうとしていたが、その言葉を聞いてからは、いろいろ悩んで眠れなかった。若い選手たちと一緒に何かを作っていくのはおもしろいと考え、受諾した。李委員長が技術委員会と話し合った末、その日の夜にメッセージが入った。『U-22(22歳以下)代表が出場中のキングスカップ観戦のためにタイに行かなければいけない』と」

--リオ五輪チームについて「歴代最弱」という評価もある。

「最高でない選手を連れて最高の戦力を作ることができるのが監督の能力だ。挑戦してみたかった」

申監督は2009年から4年間、城南を率いた。いたずらで監督が選手の首をしめたり、選手が監督のお尻を蹴ったりする雰囲気だったが、アジアチャンピオンズリーグ(2010年)、FAカップ(2011年)で優勝した。

--五輪代表チームでも「兄貴リーダーシップ」を続けるのか。

「韓国の選手たちは詰め込み式の教育の影響でいつも硬い。練習の時は意図的にいたずらをし、スキンシップをする。ミスをしても負担を感じず楽しみながらできるように。そうしてこそ攻撃的に思い切ってプレーできる」

--シュティーリケ監督を補佐して学んだ点は。

「いつもコーチングスタッフや選手の意見に耳を傾け、臨機応変だった。豪州との決勝戦の延長でDFの郭泰輝(クァク・テフィ、アルヒラル)をストライカーに上げたのが代表的な例だ。攻撃の資源があまりにも不足していたため、試合前から考えていた」

--リオ五輪の主軸はリュ・スンウ(22、独ブラウンシュヴァイク)など1993年生まれだ。バルセロナ(スペイン)ユースチーム所属のイ・スンウ(17)、チャン・ギョルヒ(17)、ペク・スンホ(18)も抜てき可能だ。

「リュ・スンウは良い選手であり、選抜する考えだ。一方、バルセロナのユースチームの選手を呼び出せば逆効果が出ることも考えられる。骨格とパワーが完成された20歳は28歳と競争できるが、ユースの年齢で1年は天と地の差がある。先輩の影に隠れてベンチに座っていれば、むしろマイナスになることもある」

--孫興民(ソン・フンミン)をオーバーエージ(23歳超過選手)で選ぶことも可能だ。

「孫興民は前向きで、才能が優れている。孫興民が良い活躍を続ければ選ばない理由はない」

--イ・グァンジョン監督が闘病中だ。

「キングスカップで選手たちはイ・グァンジョン監督に優勝を贈るといって本当に頑張った。優勝後には監督に向けてお辞儀をした。良い成績を出すほど監督が安心して闘病生活を送れるのではないだろうか」

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    2015.02.18 17:16
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    歴代サッカー韓国五輪代表のユニホームの前で善戦を誓う申台龍監督。
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