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「金日成主席が乗った車を見て護国精神の再確認を」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.18 15:35
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池甲鍾(チ・ガプジョン)国連韓国参戦国協会会長(右)が16日、ソウル竜山区の戦争記念館で、宣映済(ソン・ヨンジェ)館長に金日成(キム・イルソン)主席が乗っていたリムジンを寄贈した後、握手している。(写真=戦争記念館)
池甲鍾(チ・ガプジョン)国連参戦国協会長(86)が16日、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席(1912-94)が韓国戦争(1950-53)当時に利用したリムジンを戦争記念館(館長・宣映済)に寄贈した。停戦60周年を迎えて歴史的な戦利品を政府に譲った池会長は「娘を嫁がせたように寂しい」としながらも「国で管理し、より多くの人たちに見てほしい」と述べた。

池会長が寄贈したリムジンは1948年に旧ソ連スターリングラードの自動車会社で製作されたジス(ZIS)乗用車。ソ連のヨシフ・スターリン共産党書記長が当時の最高級の乗用車を金日成に贈り、金日成はこの車を好んで乗った。金日成は韓国戦争中、この車に乗って慶尚北道の倭館を訪問し、戦況を指揮した。池会長は51年、ロイター通信の記者として取材中、金日成のリムジンについて知った。

 
「仁川上陸作戦で形勢が逆転した。北朝鮮軍は後退を繰り返した。平壌(ピョンヤン)があっという間に陥落すると、すぐに金日成も北に後退した。寧辺付近の清川江を車で渡ることができなかったのか、そこに車を捨てて行った。これを第6師団第2連隊捜索隊が平安北道寧辺郡の川岸で見つけ、李承晩(イ・スンマン)大統領に伝えた。その後、当然、韓国にあるものと思っていた。しかし60年に国連参戦国協会を設立しながら、その車が米国にあることを知った。各国から記念品を出すことにしたが、金日成の乗用車が象徴性が大きいという意見があり、調べているところだった」。

この車が米国にあった理由はこうだ。「乗用車が米国に渡ったのは51年7月、戦争の真っ最中だった。ソウルでウォルトン・ウォーカー米第8軍司令官が51年6月に戦死し、李承晩(イ・スンマン)元大統領がウォーカー司令官の夫人にこの車を贈ったということだ。夫人は51年7月10日に乗用車をサンフランシスコ港で受け取った。しかし故郷のジョージア州に乗用車を運転していく途中、故障し、すぐに米国の自動車に変えた。ロシア製なので部品を手に入れることも難しかったはずだ。その後、米ニュージャージー州の自動車収集家に車が移った。69年からこの車を韓国に移そうと努力した」。

池会長は米国を20回ほど訪問し、収集家を説得した。車を取り戻すのも難しかったが、韓国に運ぶ際にかかる税金も問題だった。車代は7万5000ドル。税金はその2倍だった。池会長は住んでいる家を売ろうともした。当時の金宇中(キム・ウジュン)大宇グループ会長の支援で車を購入できた。ニューヨーク州駐在韓国領事館から「韓国再搬入車」という証明を受け、税金は支払わずに済んだ。

池会長はその間、金日成乗用車をソウル汝矣島安保展示館、慶尚北道泗川の航空宇宙博物館などに展示してきた。池会長は「韓国戦争を起こした人が乗っていたこの車の歴史的な意味は大きく、車の主は侵略に対抗して戦って国を守ったわが国軍」とし「多くの人たちが車を見ながら護国精神を再確認すればいい」と述べた。

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