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墓碑もなく埋められた4万人…碑木は泣いている=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.03 10:58
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「硝煙(砲煙)がなでて行った深い渓谷~」で始まる歌曲『碑木』。

碑木は木でできた碑だ。韓国戦争当時に江原道華川(カンウォンド・ファチョン)付近で死んでいった4万人余りの韓国軍と中国軍。彼ら無名勇士のさびついた鉄兜と石墓の前に置かれたのが碑木だ。

 
気温30度を上回る1日、炎天下の暑さの中、記者と碑木の作詞者ハン・ミョンヒ氏、韓国戦争当時に38度線を越えたイ・ドンピョ画伯が江原道華川郡華川邑の最前方部隊を訪れた・碑木の故郷を訪れた席でハン氏は歌曲『碑木』がどのように世に出てくることになったかを詳細に聞かせてくれた。

「私はTBC(JTBCの前身の東洋放送)出身だ。ソウル市立大学音楽科教授になる前にTBCでラジオのプロデューサーをしていたが、当時流行した歌の代わりに歌曲の編成を提案した。テストとして毎週日曜日午前11時10分から歌曲番組を送ったが、この番組がヒットした。毎日放送することに編成が変わった。そうするうちに作曲家のチャン・イルナム先生と『過去の歌ばかり流さず新しい歌曲を作ってみよう』と意気投合した。1968年末のある日、夜間通行禁止にひっかかり帰宅できなくなり、当時の中央日報5階の宿直室に座って作った歌が『碑木』だ。(60年代の)軍生活を回想しながら」

ハン氏は60年代半ばに非武装地帯戦闘哨所で小隊長を務めた。ハン氏が勤めた部隊周辺では中国軍の最後の攻勢と呼ばれた金城戦闘(13~19日)と4・25高地戦闘(20~27日)が行われた。死活をかけた血みどろの戦いを行い双方ともに莫大な被害を受けた。

韓国軍は1万4373人の被害を受けた。このうち戦死者は2689人と把握されている。中国軍は6万6000人余り(3万8700人死亡)の損失をこうむった。

「小道のような巡回ルートのあちこちに遺骨が並んでいた。新兵らは恐ろしさから多くの苦労をした。巡回ルートには人工的に造成された石だらけの場所があちこちにあり、十字架に組まれた木々が腐っていくのが見えた。当時は戦闘が急に行われたため死んだ戦友の遺体を収拾できず、周辺の石を積み上げ木碑を立てた」。

その時の木碑が結局歌曲『碑木』になった。あわせてハン氏は「巡回ルートの途中で収拾した骸骨2つを事務室に持ってきて戦争で散華した死の意味を再確認したりした。それだけ残酷な戦闘だった…」とし、言葉をつなぐことができなかった。しばらくしてハン氏は「作詞家でもない私が歌詞を書いたのが恥ずかしく、最初はハン・イルムという仮名で放送した。時が過ぎ私が作詞したことが知られ現在に至る」と話した。記者とハン氏が訪れた最前方部隊は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が少将時代に師団長を務めた7師団隷下部隊だ。イ・スンジュン中領は、「当時華川水力発電所を確保するため韓国軍側と共産軍側が最後まで死闘を行った。攻防の末に韓国側がこの一帯を守り華川ダムと発電所も確保することができた」と説明した。


墓碑もなく埋められた4万人…碑木は泣いている=韓国(2)

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    墓碑もなく埋められた4万人…碑木は泣いている=韓国(1)

    2013.07.03 10:58
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    江原道白岩山の1158メートルの頂上に立てられている碑木。この地域を管理する第7師団隷下部隊が昨年既に設置されていた詩碑の横に仮墓を作り、木の十字架の上に近くで見つかったさびついた鉄兜をかぶせた。
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