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海上通信装備の韓国産化に35年…今では日本・欧州に逆輸出(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.17 10:56
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“ものづくり”。最高の製品を作るために心血を注ぐ姿勢を意味する。日本の製造業の匠の精神の魂を意味する言葉だが、韓国トップの海上通信装備専門企業であるサミョンENCを率いるファン・ウォン代表(70)から思い浮かぶ言葉でもある。1978年、釜山市東区草梁(ドング・チョリャン)に位置する6平方メートルの地下フロアでサミョンENCの前身“サミョン社”をおこし、それまで日本製一色だった海上通信装備を国産化するといった時は、皆が鼻でせせら笑った。しかし35年間、こん身の思いで製品開発をやり続け、今では技術力では日本製に勝るとも劣らないほどだ。海上通信装備市場の生き証人、ファン代表に13日釜山影島区(ヨンドグ)の本社で会った。

--創業当時の話を少しお願いしたい。

 
「逓信高等学校(現在は廃校)の通信科を出た。学費は無料、制服をもらい、寝る場所があり、卒業すれば就職もさせてくれるというので入った。卒業後は逓信局(現郵便局)に就職したが、月給が7000~8000ウォンにしかならなかった。ところが通信長として船に乗れば4万~5万ウォンもらえると聞いた。幸い通信士の資格証明があった。金を稼ごうと船に乗った。船に乗って見たら海上装備は皆日本製だった。修理するにはお金もものすごくかかったし。いっそ私がしてみようと暇さえあればじっくり調べて組み立てた。最初から装備をつくることもできそうだった。7年の通信長生活をたたんで78年に会社をつくった」。

--草創期は事業をするのにお金が多くかかったはずだが…。

「製品開発だけをしたかったが、暮らしがギリギリだから装備修理業も一緒に行った。その時に助けてくれた人が東遠(ドンウォン)グループのキム・ジェチョル会長だ。キム会長は釜山でマグロの遠洋漁船を運営していたが船舶装備に問題があるたびに私のところに持ってきた。装備修理の物量が絶えなかったから製品開発費や会社運営資金を用意することができた。会社は回っていったが物足りなかった。海上通信装備の国産化が夢なのに、このままではいけないと思った。それで修理業をやめることにした。流行の言葉で言うならキム会長と私は甲乙関係なのに、乙が甲に対して先に契約を切ろうと言ったのだ。保障された未来があったわけでもなかったが、ずっと修理していたら今のサミョンがあっただろうか」。


海上通信装備の韓国産化に35年…今では日本・欧州に逆輸出(2)

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    海上通信装備の韓国産化に35年…今では日本・欧州に逆輸出(1)

    2013.06.17 10:56
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    サミョンENCのファン・ウォン代表が13日、釜山市影島区(プサンシ・ヨンドグ)の本社で海上ナビゲーションなどの航海装備を紹介している。
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