【社説】「歴史の監獄」に51年間閉じ込められた李承晩
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.17 12:31
また4月だ。李承晩(イ・スンマン)政権を追い出した4・19革命が起きた月だ。1960年4月11日、馬山(マサン)で学生のキム・ジュヨルが目に催涙弾を打ち込まれたまま海で遺体で発見されたことが導火線だった。李承晩大統領は執権から12年で権力を放り出してハワイに亡命した。
そして歳月が流れた。権威主義政権が勢力を伸ばした70~80年代の大学街では4月になれば「民主化デモ」が相次いだ。その過程で“建国大統領”李承晩は、4・19世代の次世代の40~50代にまで「不正選挙をした独裁者」のイメージで刻みつけられた。世代を飛び越え「歴史の監獄」に閉じ込められたのだ。学生運動家たちが愛読した解放戦後史の認識などは李承晩に対して「親日派を重用し単独政府を樹立して南北分断を固定化させた」と非難を浴びせた。李承晩のイメージは満身瘡痍となった。大韓民国の正統性も大いに打撃を受けた。建国大統領の李承晩がみずぼらしくなるほど運動界では抗日武装闘争をしたという金日成(キム・イルソン)に対する関心は大きくなった。そうして80年代が流れた。