「李承晩がまいた原子力の種、朴正煕が育成、そして原発輸出」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.03.02 16:04
「韓国戦争(1950-53)が終わった53年のことだ。 米国がソ連と核兵器競争をした時代だが、アイゼンハワー米大統領が『平和的目的の原子力開発は支援する』(Atom for Peace)という対外政策を発表した。 その最初の受恵国が韓国だ。 米エジソン社のシスラー会長が特使として派遣され、李承晩(イ・スンマン)大統領に会い、ウラン1グラムと石炭1グラムを見せながら『このウランを核分裂させれば石炭の250万倍のエネルギーを作ることができる』と説明した。 原子力研究所竣工費の半分の70万ドルを支援するという提案が相次ぐと、李大統領は電撃的に受け入れた。 58年に孔陵(コンルン)に原子力研究所が設立され、それがまさに李明博(イ・ミョンバク)大統領がアラブ首長国連邦(UAE)に輸出までした原発の種だったということだ」。
李承晩元大統領は原子力研究所の設立とともに、56年にソウル大物理学科出身の127人を選抜し、米国と欧州に国費留学させた。 自然資源が不足している韓国では創意的な人材の養成が重要だと考えたのだ。 故金浩吉総長もその時に選抜され、英国に留学することになった。 こうした留学した人たちが一人、二人と順に帰国し、祖国の科学発展に寄与し、その結果、現在の韓国の原子力レベルが世界トップクラスに成長したということだ。