【グローバルアイ】「日本は復活する」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.05 15:10
16年前、阪神大地震発生の翌日、私は災害地域の神戸市にいた。 当時どれほど多くの人が犠牲になったのか分からなかった。 ただただ、ねじれ曲がった都心の高架道路、灰と化した住宅街、10階建てのビルが崩れ落ちた惨状に恐怖を感じていた。 都心を襲った直下型地震、それも未明に発生したため、犠牲者の大半は家で眠っているところだった。 がれきを片づければ、行方不明者の捜索はそれほど難しいものではなかった。 被害が神戸地域に限られ、地震発生後は周囲からボランティアメンバーと救護物資が続々と到着した。 1週間ほど体を洗えない不便さ、余震の恐怖はあったが、食事の心配はなかった。
先月、東日本大地震の被災地に出発する時まで、頭の中には16年前の神戸の姿を思い描いていた。 こうした私の考えは、仙台の海岸地域である荒浜に入った瞬間、見事に吹き飛んだ。 建物一つ残らずさらっていった津波の威力に茫然自失した。 親は小学校があった場所で一日中、子どもたちを探した。 どろどろになったカバンや作文ノートを胸に抱いて戻ってくる姿は、まさに地獄のようだった。 取り乱すことがほとんどない‘冷静な日本人’でも、家と家族が一瞬にして消えてしまう現実は受け止められるものではない。 被災者1000人余りが避難した宮城県庁では、真夜にも憤怒と悲しみの泣き声が聞こえた。 死亡が確認された人よりも行方不明者が何倍も多い状況。 神戸では地震の直後から人々の空腹を癒した救護品と食べ物は、1週間が過ぎてようやく提供された。 今回の災難は誰もがそう話すように、地震・津波・原発事故が重なった‘トリプル災難’だ。 いつまで放射能の恐怖に怯えなければならないのかも分からない。