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<大リーグ>昨日までは野茂の後ろに朴賛浩、今日からは朴賛浩の後ろに野茂

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.09.14 09:36
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 この日を迎えるまで苦労が多かった。ユニフォームは7回も変わった。米国の地に足を踏み入れた当時21歳だった青年は、17年間を孤独に戦った。

朴賛浩(37、ピッツバーグ)が米メジャーリーグでアジア出身投手最多勝記録に並んだ。日本でメジャーリーグ開拓者として崇められている野茂英雄(42、08年引退)と同じ個人通算123勝だ。

 
◇「苦痛は自分が作った錯覚」=朴賛浩は13日(日本時間)、シンシナティー戦で0-1とリードされた8回、2番手でマウンドに上がり、1イニングを無失点に抑えた。ピッツバーグは9回表に3点をあげて3-1で逆転勝ちし、朴賛浩に今季3勝目(2敗)がついた。メジャーデビュー後17シーズン目、467試合目にマークした123度目の勝利だった。04年には野茂に通算で24勝も遅れをとったが、一歩ずつ追撃した末、ついに肩を並べた。

試合後、朴賛浩は自分のインターネットホームページで「困難や苦痛も自分が作った基準による錯覚だ。自分の人生に不幸はなかった。私の基準に合わなかっただけだ」と所感を伝えた。

123勝を収めるまで朴賛浩がいかに多くの苦痛と戦ってきたかが分かる。



◇けがの連続と試練=94年の漢陽(ハンヤン)大在学中、LAドジャースに入団した朴賛浩は、経済危機を迎えていた韓国の希望のアイコンだった。97年からチーム内の先発投手に定着し、01年まで5シーズン連続で10勝以上を収めた。

メジャーリーグ最高級投手になった朴賛浩は02年、自由契約選手(FA)資格を取得し、5年総額6500万ドルでテキサスに移籍した。年平均1300万ドル(約150億ウォン)を稼ぐスポーツ財閥になった。

この時からけがの悪霊と戦った。腰の痛みが激しくなり、右太ももも何度も痛めた。02年のシーズンを9勝で終えると、03年は1勝、04年も4勝にとどまった。けがの影響で特有の剛速球を失い、再起は不可能とみられた。

米メディアは何度も朴賛浩のテキサス入団を歴代最大の失敗契約に選んだ。朴賛浩は05年のシーズン途中にサンディエゴに移籍したが、今度は膓出血で選手生命が危機を迎えた。

◇挑戦は続く=富と名誉をつかんでいたため引退は自然な流れだったが、朴賛浩は挑戦をやめなかった。30代半ばの年齢で07年から毎年チームを転々とした。今年の朴賛浩の年俸は全盛期の10分の1にもならない120万ドルだ。

朴賛浩はニューヨーク・ヤンキースに入団した今季初めに太ももの痛みが再発、2勝1敗に終わり、先月初め戦力外通告を受けた。もう限界かと思われたが、朴賛浩は「成長のための試練になるはず」という言葉を残してナショナルリーグ中部地区最下位チームのピッツバーグと契約した。そして移籍後17試合目に初勝利をメークし、ついに新たな歴史の主人公として誕生した。


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    <大リーグ>昨日までは野茂の後ろに朴賛浩、今日からは朴賛浩の後ろに野茂

    2010.09.14 09:36
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    95年から98年までLAドジャースの同僚だった当時の野茂英雄(左)と朴賛浩。
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