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【コラム】「庚戌国恥」は生きている

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.08.30 16:07
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 皇帝の外交現場は存在する。 米国の首都ワシントンDCに生きている。 そこに大韓帝国公館が残っている(写真上)。高宗(コジョン)の密命で設置した大使館だ。 1891年に内帑金(皇室の秘密資金)で購入した。 建物の外観は100年前のまま残っている。 ビクトリア風の赤褐色の3階建て建物で、バランスが取れた美麗な外観を誇る。

 
「大朝鮮駐箚米国華盛頓公使館」。 当時の名前だ。 華盛頓はワシントンの漢字表記で、公使館は今の大使館と同じだ。 朝鮮の唯一の海外常駐公館だった。 そこに込められた独立の意志と悲劇的な最後は鮮明だ。 建物はワシントンの中心街にある。 ホワイトハウスから車で北東に10分の距離(ローガンサークル)だ。

建物の生存は奇跡だ。 日本に奪われた後、一世紀の間、風波を避けてきた。 その歴史的価値は非常に大きい。 希少性、保存性で絶対的だ。 比較の対象がない。 しかし相変わらず放置状態にある。 政府の買い取りの意志とその動きは望ましい方向ではない。 その過程を知るほど苦い思いをする。 そのあきれるような理由はこうだ。

公館存在が確認されたのは1980年代半ば。 7年前に公館取り戻し運動が行われた。 同胞、知識人、宗教関係者が率先した。 その時、政府は無関心だった。 もちろん権泰勉(クォン・テミョン)駐コスタリカ大使ら有志の公職者も一部いた。 民間の運動は力不足だった。

昨年、政府が動いた。 30億ウォン(約2億3000万円)の予算(文化観光部)を組んだ。 購入実務はワシントン駐在外交官が担当した。 家主は米国人弁護士だ。 この弁護士は建物の価値を知っている。 市場の2倍(40億-44億ウォン)の価格を求めた。 駆け引きは終わった。 政府はあきらめた。 30億ウォンを予算不要額として処理し、返却した。 今年は予算策定もしなかった。

私は公館を長期間追跡してきた。 関心がある人たちの集まりもできた。 そこで出てきた話だ。 「家主の欲を糾弾することで政府の任務が終わった格好だ。 お金が足りなくてあきらめるとはあきれる。 その貴重な建物は中国や日本にはない。 そこでは19年間にわたり12人の朝鮮公使が活動した」。「タワーパレスマンションの大きな坪数より価格は低いのに…OECD加盟国がそれを買えないとはもどかしい。 文化イベント予算を少し惜しむだけでも購入できるはずだが…」。

主要20カ国・地域(G20)ソウル首脳会議の開催は国力だ。 しかし10億ウォンの不足で決定的な歴史現場は後世に編入できなかった。 その致命的な不均衡は何のためか。 購入失敗は公職社会の意識を反映している。 歴史認識の貧困と無関心は衝撃的だ。 歴史現場確保の重要性を理解できずにいる。 そのような鈍さは歴史学界でも見られる。 研究の現場性は未熟だ。

亡国の決定打は1905年9月のポーツマス(米ニューハンプシャー州)条約だった。 日露戦争を締めくくった条約だ。 仲裁国の米国は休養地ポーツマスを紹介した。 ワシントンの暑さを避けようとした。 そこの海軍基地の中で会談が開かれた。 105年が過ぎたが交渉場所(写真下)はそのまま残っている。 その場所の意味は非常に大きい。

勝利国の日本は会談場所に連邦政府区域を要求した。 ニューハンプシャー州政府の影響力を勘案した。 連邦と州政府の微妙な関係を意識したのだ。 米国は会談場所を連邦管轄の海軍基地に準備した。 日本外交の緻密さだ。 現場に行かなければ日本侵略外交の深みと細かさを実感することはできない。 日本はその会談で朝鮮に対する外交包囲網を完成する。 乙巳勒約につながる。 しかしその交渉場所に行ったという韓国の専門家はほとんどいない。

亡国100年。 悲憤慷慨が私たちの社会の一方であふれている。 しかし後日を模索する実質はずさんだ。 公使館買い取りの執念不足もそのためだ。 庚戌国恥はこうした形で生きている。

朴普均(パク・ボギュン)記者


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    2010.08.30 16:07
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