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【時視各角】儒教は「アジアの世紀」に通用するのか(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.02 17:00
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 現在、中国政府は儒教の要素のうち社会的統合、位階秩序に対する尊重に関心がある。 その程度では世界的な理念としては力不足だ。 儒教をアップグレードするためには、儒教を最も精密に解剖した学者の一人、マックス・ウェーバー(1864-1920)の主張に留意する必要がある。 ウェーバーは西欧的な合理性が資本主義の発達と近代化に寄与したと主張した。 では、儒教も合理的であるにもかかわらず、なぜ東アジアでは近代化が進展しなかったのか。 ウェーバーはこういう結論を出した。 「儒教的な合理主義は世界に合理的に順応することを意味した。 清教徒的な合理主義は世界を合理的に支配することを意味した」。ウェーバーは、儒教が静的な世界観であるため緊張感が欠如した体制だと考えた。

ウェーバーの指摘は今日の中国儒教を眺める際にも有用だ。 中国政府が儒教に関心あるのは、儒教が世界、すなわち体制に順応する人間型を教育し、社会的な緊張関係を最小化するのに役立つからだ。 しかし儒教の国際化のためには、孔子から新しい合理性と緊張関係を引き出さなければならない。 映画「孔子」を撮影したフー・メイ監督は「人によって孔子に対する考えが異なるため映画を撮るのが難しかった」と告白した。 監督の言葉のように孔子にはさまざまな姿がある。 それだけに新しく引き出せることも多い。

 
これまで発展や近代化は何といっても西欧化を意味した。 韓国はかつて中国よりも儒教的な国だった。 「アジアの世紀」がくるなら韓国も当然一つの軸を形成するだろう。 新しい儒教が「アジアの世紀」の理念的土台になれるのか。 中国の‘孔子ブーム’の推移を見守りながら確かめよう。

キム・ファンヨン中央SUNDAY知識チーム長


【時視各角】儒教は「アジアの世紀」に通用するのか(1)

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