<スターデート>打率2割2分9厘でシーズン終えた李承?(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.11.24 09:30
打撃には流れがある。冷めていた打撃感覚は5月に上がり始めた。しかしここの時から腰が痛くなってきた。腰に手を当てなければ歩いたり走ったりできなかった。トレーナーは休息を勧めた。しかし休めなかった。バットがよく鳴り響いた。それが禍根だった。痛みがなくなるとおかしなことに打撃感覚まで落ちてしまった。痛かったときの無理が生んだ結果かもしれない。バットが鳴らなくなるとチームは7月13日に私を2軍に送った。
2軍は主に昼に試合をやる。昼に試合を行い、家に帰れば息子とテレビで巨人の試合を見る。「パパは何でお家にいるの」と尋ねる。2005年に生まれた息子は「巨人選手の李承燁」しか知らない。私の心も妻の心も張り裂けた。しかし一度も憂いの表情を見せなかった妻はありがたかった。帰国前に2軍は教育リーグ、1軍は宮崎キャンプに向かった。東京に近い訓練場ではリハビリ中の投手と、野手としては私だけ残った。室内訓練場で1人バットを振りながら、「承燁、おまえはこれしかできない選手か」と言いながらわびしさを飲み込んだ。