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京都耳塚で行われた慰霊祭(2)

2009.08.20 10:37
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「民族の魂を生かす国民運動本部」は耳塚を故国に移す案も待ちこがれる。

しかし「耳塚」は現在、日本の史跡地に指定されてある。豊臣秀吉と直接関連のある京都の文化財と見なすからだ。

 
「民族の魂を生かす国民運動本部」は今年5月、東京の文化庁を訪問し、「耳塚」の韓国への移転を打診したこともある。ハン理事長は「壬辰倭乱(文禄の役)の当時、ウルドルモク(鳴梁海峽)での戦闘で戦没した倭(日本)軍が海岸に流れてきた。そのとき、朝鮮(チョソン、1392-1910年)の民は倭軍の遺体を収拾し、珍島(チンド)に埋めた。いまでも珍島におよそ100基の墓地がある。当時、同地域に出廷した倭軍の子孫が最近も訪れ、法事を行う。珍島にある倭軍の墓地と京都の耳塚を交換する案を提案した」と説明した。

これに対し、日本の文化庁は「研究するに値する提案だ。しかし耳塚は文化財に指定されている。国会で文化財関連法規を変えない限り、耳塚の移転は難しい」とし、原論的な答弁を出した。この日の慰霊祭には京都市文化財保護課長が出席、耳塚に献花した。日本政府当局者が「耳塚の慰霊祭」に出席したのは初めてだ。それだけ日本側も気にかけている証と言える。「民族の魂を生かす国民運動本部」は毎年京都を訪ね「耳塚慰霊祭」を開く計画だ。

◇耳塚=壬辰倭乱と丁酉災乱(慶長の役)で亡くなった朝鮮の水軍と民の鼻や耳が埋められた塚。当時、豊臣秀吉の倭軍は、重いとの理由から首の代わりに朝鮮人の鼻と耳を切り取り、塩漬けにした後、日本に持っていった。豊臣はその数によって賞を与えたという。そして鼻と耳を集め、同地に埋めた。耳塚の上には石塔の形をした石づくりの飾りが載せられている。恨みのある朝鮮人の魂の気を抑えるためのもの、という説もある。耳塚からわずか約100メートル離れた所に豊臣を称える神社がある。


京都耳塚で行われた慰霊祭(1)

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