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【社説】心からの哀悼の中で静かな国民葬を

2009.05.25 09:49
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韓国の第16代大統領の悲劇的な死を哀悼する国民の弔問が続いている。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の遺体が安置された故郷、慶尚南道金海(キョンサンナムド・キムへ)の烽下(ポンハ)村では全国各地から来た国民が、2キロ以上も並んで弔問している。ソウル中心部の焼香所にも夜遅くまで弔問が続いている。昨日は全国の教会・聖堂・お寺で、多くの国民が盧前大統領の安息と遺族の安寧を祈った。弔問には老若男女、地位の上下、与野党、保革、親盧-非盧の区別がない。全国民が哀悼しているのだ。

 
盧前大統領の在任中に代表的な政敵は、当時の朴槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党代表であった。朴氏を支持する集い「パクサモ」(朴槿恵を愛す会)会長は声明を出し「理念と路線が異なり、在任中に終始(盧前大統領と)闘争したものの、長い歴史の見地から見て、それなりに大きな意味があった大統領」と追慕した。李明博(イ・ミョンバク)大統領も烽下村の喪家を直接訪問するという。

7日間にわたる国民葬が終われば、盧前大統領は本人の遺言通り故郷に埋められることになるだろう。盧前大統領の投身は筆舌では表現しにくい衝撃的な事件といえる。繰り返し指摘するが、世界史でも類例を見がたい。もっとも今は多くの国民が経済危機の最中で毎日厳しく生計を立てている状況だ。そして南北(韓国・北朝鮮)関係の停滞をはじめ、労使の対立、非正規職問題、与野党の立法をめぐる戦争、強硬派労組による物理的な闘争--など社会の諸部門で対立が噴出している騒然とした状況だ。

しかも多くの人々が不安かつ胸を痛めている渦中に、1年前までも国家の責任を負っていた大統領経験者が自ら命を絶ったのだから、普通の衝撃と憂慮ではないのだ。韓国社会が同事件を賢く締めくくって安定と発展を固めていくのは、歴史の前進のため、非常に重要である。ひとまず韓国社会は遺族の悲しみを慰め、最大の礼遇を尽くし、盧前大統領を安置しなければいけない。その後、同氏が残した功罪の遺産を静かに整理し、受け継ぐべきものは受け継げ、直すべきものは直していくべきだ。

それが歴史の継承であり、社会の連続性だ。対立が厳然として存在する状況で、こうした至難な作業をきちんと果たすために、最も重要なのが落ち着きと冷静さだ。盧前大統領は「誰も恨むな」という遺書を残した。盧前大統領と政治的に立場が異なったからといって、具体的な政策と懸案で激しく対立したからといって、特定の勢力や人物をこうした全社会的な作業から排除するとしたら、これは和合と前進に反するものだ。

明らかな根拠もなく「検察の責任」に追い詰めたり、責任を取る人がいるべきだと主張するのは対立をあおるものだ。妥当だったマスコミの批判を感情的に罵倒(ばとう)するのは控えねばならない。ある人物や集団の弔問を阻止するのも穏当でない。ソウルの焼香所では一部市民が街頭行進を試みて警察と衝突したが、これは望ましい弔問ではない。烽下村の喪家で大統領への花輪を傷つけたのは誤った行為だ。こうした諸事例は対立の解消にもならない上、盧前大統領の遺志とも相反する。

今後、特定の勢力が事件を政治的に利用し過激な攻勢や集会を図るならば、これは非常に誤った取り組みであり、国民からの支持も得られないだろう。多くの国民が弔問の行列に加わるのは、盧前大統領と遺族に哀悼を示すためだが、それと同時に「社会の対立を拡大してはいけない」という静かな意志の表明でもある。盧前大統領の遺族は政府が提案した国民葬を受け入れた。国民葬は言葉通り、全国民が悲しみを共有し哀悼の意を表して、亡者を安らかに送ることである。

韓国の現代史で、白凡・金九(ペクボム、キム・ク)先生と崔圭夏(チェ・ギュハ)元大統領らが国民葬という優遇の中で、安息へ向かった。国民葬は葬儀という締めくくりであるが、和合に向けたもうひとつのスタートでもある。残りの葬儀期間に、社会の諸勢力は理念と政派を離れ「国の首長だった盧武鉉」が残した5年を落ち着いて振り返ってみる時間を持つ必要がある。同氏が苦悩に満ちた死でもって語ろうとしたものが何かについて熟考してみよう。

盧前大統領を失って、韓国社会がより対立と分裂に陥るならば、元「国の首長」より、さらに大きなものを失うことになる。盧前大統領の衝撃的な死に、世界の人々も韓国を見守っており、韓国社会の成熟度が試されている。成熟かつ和合した雰囲気で、全国民の心よりの哀悼の中、静かに盧武鉉前大統領を送ろう。


【ニュース特集】盧武鉉前大統領逝去、韓国国民悲しむ

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