【グローバルアイ】‘経営の神様’松下幸之助の教え(1)
東京オリンピック(五輪)が開催された1964年。 家電会社として成長していた松下電器は収益が減り、在庫が膨らみ始めた。 創社以来、初めて迎える危機だった。 高度経済成長期の過剰設備投資と、白黒テレビ・洗濯機など主力家電製品の飽和が理由だった。 販売会社と代理店社長の不満の声がピークに達すると、経営の一線から退いていた創業者の松下幸之助会長(当時69歳)は1964年7月、静岡熱海のあるホテルで「全国販売会社代理店社長懇談会」を開いた。
会議場は松下糾弾大会だった。 3日間、代理店社長の話を聞いた松下会長は壇上に立って涙で謝罪した。 「誰も目を向けなかった松下の電球を販売してくれたのは皆様です。 今の松下があるのもすべて皆様のおかげです。 私は何も言う資格がありません」。松下はこの席で販売網の改革を約束し、新たなスタートを誓った。