<グローバルアイ>尋常でない日本の国連安保理入りへの動き
世界史の中にはどんなに歳月が流れても明らかにならない秘密が存在する。 1950年の韓国戦争(1950-53)の時だ。 北朝鮮が攻めてくると、一日も経たないうちに国連緊急安全保障理事会が招集された。 理事国は北朝鮮の侵略を糾弾する決議案を通過させた。 そして12日後、国連軍の派兵を決定した。 この過程で、50年以上過ぎた現在までミステリーとして残っていることがある。 拒否権を持つソ連がなぜ2度も安保理を欠席し、国連軍の派兵を放置したかという点だ。 「当時、中国の代わりに台湾が理事国であることに抗議し、安保理をボイコットしたことでこうなった」など、さまざまな説があるが、どれも明快な説明にはならない。
外交工作と水面下の取引が行われる国際舞台でこのように真実が埋もれることは珍しくない。 潘基文(バン・キムン)国連事務総長選出時に出てきた棄権票の正体もその一つだ。 てん末はこうだ。 06年10月、候補6人をめぐり国連安保理加盟国の4次投票が実施された。 大勢は潘総長に傾き、賛成14票・棄権1票で当選が確定した。 新総長の誕生自体が大きなニュースだったが、どの国が棄権票を投じて最後まで反対したのかも関心事だった。 「ある島国が反対した」など未確認報道が相次いで出てきた。 韓国外交官らは確かめようとしたが、漠然とした心証だけで、どの国かは確認できなかった。