1912~13年ごろ撮影したものと見られる同写真は、日本による植民支配時代(1910~45年)に行なわれた修理工事以前の石窟庵・前室が屈折型の構造だったことを見せてくれる。金剛力士像(写真の右側から四番目)がそれており、その上の陰(点線)が曲線だ。60年代の修理過程で前室が直線化し大王厳の方向にそれている。
1913年9月13日に寺内総督は、石窟庵の解体・修理を公式に決定する。11月14日の写真では、解体に向けて周辺の雑草を除去したことが分かる。