韓経:「植民地時代のソウルの人口39万人…日本・中国など外国人が3分の1」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.15 13:08
日帝強占期の1930年代、ソウル(京城)の人口の3割は日本人だったことが分かった。乙支路(ウルチロ)を基準に北側には朝鮮人が、南側には日本人が主に暮らしていた。
ソウル歴史博物館が14日に発表した所蔵遺物資料集「各町洞職業別戸口調書」によると、1934年の京城の日本人の割合は28%(10万9682人)にのぼった。全国平均(2.7%)の10倍以上だ。当時、京城に住む朝鮮人は27万9007人(70.7%)、中国人をはじめとする第3国出身者は5836人(14.7%)だった。
朝鮮人が多い北村(ブクチョン)と日本人が多い南村(ナムチョン)は洞名表記方式も違った。1914年、北側の行政区域は「洞」という朝鮮式の洞名を、南村は「通」や「町」など日本式の洞名を使用した。現在のソウル市庁の京城府庁は南大門(ナムデムン)に、朝鮮総督府は乙支路の南側の南山(ナムサン)倭城台にあり、京城は南北に分かれた二重都市だったという説明だ。