韓経:ソウル市「敦義門・宮廷・城郭の復元は困難」…日帝が崩した「悲運の慶熙宮」復元白紙化

韓経:ソウル市「敦義門・宮廷・城郭の復元は困難」…日帝が崩した「悲運の慶熙宮」復元白紙化

2016年09月13日10時46分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
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  ソウル市と文化財庁が推進中の「慶熙宮(キョンヒグン)復元事業」が座礁の危機に直面した。日帝が傷つけた慶熙宮のかつての姿をよみがえらせるための復元事業についてソウル市が立場を変え、予算や交通問題などを理由に白紙化することにした。

  ソウル市の関係者は「敦義門(トンイムン)をはじめ慶熙宮の塀や近隣の漢陽都城(ハンヤントソン)の城郭を復元する慶熙宮址復元事業を推進する計画は現在としてはない」として「慶熙宮のかつての場所の復元のための近隣建物の移転も推進する計画がない」と11日明らかにした。

  景福宮(キョンボックン)・昌徳宮(チャンドックン)・昌慶宮(チャンギョングン)・徳寿宮(トクスグン)と共に朝鮮時代5大宮廷の1つだった慶熙宮は、日帝強制占領期間をたどりながら宮廷の形跡を完全になくした。日帝は慶熙宮内の殿閣を壊したり別の所に移したりして宮廷の真ん中に防空壕を掘った。1988年から慶熙宮の復元が始まったが2004年に中断された。

  文化財庁とソウル市および管轄区庁である鍾路区(チョンノグ)は2023年までに各種の殿閣を復元して近隣敷地を買い取りかつての宮廷の圏域を回復するという内容の「慶熙宮址総合整備計画事業」を2013年に発表した。慶熙宮の跡地にあるソウル市立美術館別館の慶熙宮美術館を年末までに撤去するのが復元事業の最初の段階だ。

  ソウル市は慶熙宮美術館を当初の計画どおり年末までに撤去するという方針だ。しかし美術館の撤去後に行うはずの復元事業は中断することにした。当初の計画によれば慶熙宮美術館が撤去された後、王の便殿(平生に生活していた所)として使われていた各種の殿閣が入る予定だった。ソウル市の関係者は「美術館が撤去されれば該当敷地に殿閣を復元する代わりに別の用途で使う案を検討している」と話した。

  敦義門と宮廷の塀および漢陽都城の城郭を復元するという計画も事実上失敗に終わった。現在の新門内路にあった敦義門は朝鮮時代の西側の門だ。日帝が1915年に道路造成のため撤去した。敦義門は崇礼門(スンネムン)・興仁之門(フンインジムン)・粛靖門(スクチョンムン)など朝鮮時代のソウル4大門の中で唯一復元されていない。敦義門をできるだけ原形に近い状態で復元した後、敦義門をつなぐ漢陽都城の城郭および宮廷の塀まで復元するというのが文化財庁とソウル市の当初の計画だった。

  江北(カンブク)サムスン病院近くの新門内路の地上に敦義門を復元するには地下車道を建設しなければならない。最低2年余りの間、道路を統制したまま工事をしなければならず交通渋滞が発生するほかはないというのがソウル市の説明だ。敦義門の復元に少なくない予算がかかるという点もソウル市が復元を白紙化したもう1つの背景だ。慶熙宮址復元事業には当初1300億ウォンが投入される予定だった。このうち70%は政府、30%はソウル市の予算だ。

  ソウル市は2013年に旧慶熙宮圏域の復元のために近隣にあるソウル歴史博物館やソウル教育庁、気象庁松月洞(ソンウォルドン)観測所などの移転計画を立てた。これに対してソウル市の関係者は「現在では移転計画がない」と一線を引いた。文化財庁の関係者は「敦義門をはじめとする慶熙宮の復元事業についてソウル市が交通問題などを理由に消極的」としながら「当初の計画どおり慶熙宮を復元するのは難しいだろう」と見通した。
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